哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

究極のボケ防止は解脱、真の幸福も解脱のみにある

ブッダヴァチャナによるブッダの伝記「八十年、いまだ呆けず」
中部ムーラバンナーサ 12巻163頁192項より引用。

 

ブッダの言葉です。
 サーリプッタ。「この人がまだ若く、真っ黒な髪をして、若さが溢れている間は
鋭く敏捷な智慧がありますが、この人が老いて群れの長になり、歳月と年齢を重ね、
生まれて八十年、九十年、あるいは百年になると、その時その人は、
当然鋭く敏捷な智慧が衰えます」
と、このように言い、このように見るサマナあるいはバラモンがいます。
 サーリプッタ。あなたはすぐにそう考えてはいけません。
私は今老人で、群れの長になり、歳月と齢を重ね、八十歳を数えます。

 サーリプッタ。説いている説法も変わらず、如来のダンマの説明も変化せず、
問題に答える如来の機知も変化せず、(等々)
サーリプッタ。みなさんが私を(輿のように担ぐ形の)小さな寝台で運んでも、
如来の鋭敏な智慧が変化することはありません。

 サーリプッタ。誰でも「当たり前に愚かさがない動物が、大衆の利益のため、
幸福のため、世界を援けるため、すべての天人と人間の利益のため、
幸福のために生まれた」
と正しく言うなら、その人は私についてだけ言うべきです。

 

 

 

すばらしい!
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(おまけ)

 

 

 

 

 

 

(過去記事統合編集再録)