哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

長い夜(大音量でロックを聴いていた頃)


 
 
 おれは中学後半から高校にかけて毎日かかさず夜中まで大音量(ヘッドホン)でロックを聴いていた。
「次の日を生きるために必要なエネルギーを耳から充電中」って感覚だった。
毎夜次の1日分のエネルギーをロックからもらいながら、なんとかその日その日を生き残った。
 
 たいていの人の子供時代は、楽しい記憶に偽造されてるからリアルに思いだせないが、毎日が今よりずっときつかったはずだ。
 
ただ子供は旺盛な「生きんとする意欲」によって、どんな辛いめにあってもなんとか耐えてきて、その辛い記憶は消去されるか、脳内でしょーもない体験乃至楽しい体験に変換されている
 
 もし今、捏造される前の事実とその時の子供のリアルな感情を思いだすことがあれば、あなたの両目から不意に涙があふれるだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
『一見カラダに悪そうだが、実は健康によい11のこと』にこう書いたあった。
「英マサチューセッツ大学の研究チームによると、ヘビーメタルやハードロックなど、賑やかな音楽を聴くと、小嚢と呼ばれる内耳を刺激し、これが脳に心地よさを与え、気分がよくなるらしい。ちなみに、小嚢が刺激されるのは、90デシベル以上の音楽。」

自分の体験から、おおいに納得できる話だ。大音量で聴かないと効果はなかった。
おれは慢性睡眠不足で、さらにヘッドホン難聴になった。
まあ、生き残れたから、そのくらいはしかたなかったとおもっている。
 
 
 今は大音量でロックを聴く必要はなくなった。歳のせいもあるけど、主に仏教のせい(おかげ)だ。

もう音楽を聴くこと自体を意識的にひかえ、呼吸のヴィパッサナーをしたいとおもってる。
変転する音の刺激に毎日なんとなく依存してるって、仏教的に正しくないとおもうので。
 
(過去記事増補編集再録)