12日記事
[強迫神経症… ]
の続きです。
仏教は、迷中の思考を明確に強迫観念とみなしているとおもう。
医学的に認知されている強迫観念は患者自身が病気だという自覚を持っている場合が多い。
思考(という強迫観念)は最も一般的な症状であるにもかかわらず、医者も含むほとんどの人々は、これが人生を破滅させる恐ろしい病だという自覚をもたない。
古今東西、人類の99,9%が常にかかっている病は、病と自覚されがたい。
迷中のすべての考えがゴミなら、考えを無にして、梵我一如(宇宙との一体感)とかになればいいのかと訊かれたことがある。
おれはそんな体験したことない。したところで妄想だとおもうので興味もない。
第一、なにも考えない「無」というのもちょっと違うとおもう。
「無」状態なんて、たいてい脳がサボってるだけだ。
おれがおもうに、脳のサボりパターンは2種類あって、それが妄想と「無」。
ヴィパッサナーは、妄想にも「無」にもならない脳の状態をキープする唯一の方法だとおもう。
だからヴィパッサナー実践中は、サボりたいのにサボれなくされた脳があの手この手で抵抗しつづける。これは本能レベルの抵抗。
けっこう手強い。けっこうしんどい。