哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

007カジノロワイヤル

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DVDを観る

「007カジノロワイヤル」


CASINO ROYALE - FIRST FULL TRAILER

 



 最初は、かったるい始まり方で、

主役の役者も、いまいち華がないし

「イギリス映画は、はずれ多いからなー」

と半ばあきらめて見ていたら、

途中からしり上がりに良くなってきて

気がついたら、けっこー引き込まれたわ。

 

終わり方が、特にドラマチックで、

なんだかかっこいい。

 


Casino Royale | Final Full Fight 4k

 

 

 

 

 

 

(My Favorite Songs)

ロメオ・サントス
Eres Mia

 

Romeo Santos - Eres Mía



たまにはラテンもいいね。
何言ってるかわからんけど、歌い方がエロいから、内容もそういうことなんでしょう。

ロメオ・サントス、もう1曲。
これもコマシてるね~
 
Romeo Santos - Propuesta Indecente (Official Video)
 
 
(過去記事統合増補編集再録)

誰もがとっくにVRヘッドギアをかぶっている

デューク・デュモン
I Got U
 

Duke Dumont - I Got U ft. Jax Jones (Official Music Video)


 歌詞は[あなたがすべて]みたいなよくあるやつ。でも歌詞とあまり関連なく作られてるこのPVは(マトリックス以来もはや新味はないけど)けっこういけてる。

わざわざこんなVRヘッドギアをかぶらなくても、人生はもとからこういうものだって、あなた知ってる?

実のところ、誰もが例外なく、目に見えないVRヘッドギアをとっくに被っている(そして、プログラムが気に入らなくて、もっと好いのに替えろと文句を言い続けてる)

 

ブッダ出家以前の、贅を極めた王子生活もこれだった。


若きブッダはここから脱出し、目に見えないVRヘッドギアを脱ぎ捨てて悟った。

大多数の人々はまるきり逆で、二つ目三つ目のヘッドギアを重ね被ってでも、とにかくこの「なんでも望みどおりになる」夢の生活を切望している。
ここに侵入するVRヘッドギアを手に入れるためにどんな悪事でもしてきたし、今もしているし、これからもせずにいられないだろう。
無明のなすがままに、喜んで狂酔しているのだから。

 
 


Avicii vs Nicky Romero - I Could Be The One (Nicktim)



これは、2LATE(もう遅い)とかいう問題じゃないんだ。

目に見えないVRヘッドギアをかぶってるから、感じ方考え方が根っこから間違えてんだよ。

ブッダに学び、重ね被りしてるヘッドギアを脱ぎ捨てれば、幻想は瞬時に消え去り、すべての問題がその場で解決する。
 
だから、命ある限り2LATEはない。
 
 
 
(過去記事編集再録)

最高にハートを揺さぶられるブッダの伝記

 ブッダの伝記を、ブッダのことばのみによって実現したものがあります。
 このブッダの言葉によるブッダの伝記は、三蔵の中から、ブッダご自身が語られた伝記に関わる言葉だけを選んで集めました(初版挨拶より引用)
ターン・プッタタート の法施図書室  ( Buddhadasa )「ブッダヴァチャナによるブッダの伝記

これは、最高にハートを揺さぶるブッダの伝記です。  
 
 
 
 さらに言えば、
佐々木閑先生の花園大学リモート授業「ブッダの一生」で、現代の学問的通観を得てから、具体的にブッダの直説(正確には、ブッダの直説として記録されている信頼に足る資料)に触れると、より把握しやすいとおもいます。
動画は全55本の大作ですが、佐々木先生の話がたいへんおもしろく、興味深く親しみやすいので、苦も無く学べてしまうとおもいます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(My Favorite Songs)
ハミルトン・ジョー・フランク&レイノルズ。
「恋のかけひき」
 
昨日のイングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリー「シーモンの涙」もそうだったんだけど、曲が素敵だと、こんな「ハミルトン・ジョー・フランク&レイノルズ」という長たらしいグループ名を、記憶力の悪いおれが、一瞬で覚えるから不思議だわ。
 
 
(過去記事統合増補編集再録)

極限ナンセンス

ブッダのことば。
コーサラ国王子時代の回想。
 
 
 

 比丘のみなさん。私は繊細でした。非常に繊細でした。これから話すように、最高に繊細でした。比丘のみなさん。宮殿の中に私のために三つの池を作らせ、一つの池には白い蓮を、一つには緑の蓮を、もう一つの池に桃色の蓮を植えました。

 

 比丘のみなさん。カーシーから取り寄せたのは栴檀だけではありません。頭に巻く布、上着、腰布など、すべてカーシーから取り寄せていました。比丘のみなさん。周りの人たちが昼も夜も傘蓋を差しかけ、私が暑さ寒さ、埃や草や露に触れないように常に擁護していました。

 

 比丘のみなさん。私のための城は三つありました。冬用、夏用、雨季用です。四か月の雨季の間はずっと城に居て、女性だけの楽団で私を楽しませ、城の外へ出て行くことはありませんでした。

 比丘のみなさん。余所で奴隷や使用人に粉米と酢を食事として与えるように、父の城は、奴隷や(昔の)労働者に肉と一緒に炊いた麦飯(註)を食べさせていました。

[註: このような言い回しは、食糧が豊富なことを示唆しています。]

 

 比丘のみなさん。このように何でも望むどおりになり、このように手厚く愛護されていると、「聞くことがない凡人は、自分も老いるのに、老いから逃れる事は出来ないのに、他人が老いたのを見るとうんざりして毛嫌いし、自分もそうなると考えもしない。私も同じだ。必ず老いるし、老いから逃れることはできない。しかし、自分も老いなければならないのに、他人が老いたのを見て我が身を忘れ、うんざりして毛嫌いするのは私にふさわしくない」このような考えが生じました。比丘のみなさん。このように考えたとき、自分の若さへの陶酔は消滅しました。

 

 比丘のみなさん。「話を聞かない凡人は自分も病になるのに、病むことから逃れることはできないのに、他人が病気になったのを見るとうんざりして毛嫌いし、自分もいつか病むなどと考えもしない。私とて同じことだ。必ず病気になるし、病気から逃れることはできない。しかし自分も病気から逃れられないなら、他人が病むのを見て我が身を忘れ、うんざりして毛嫌いするのは私にふさわしくない」。比丘のみなさん。このように考えたとき、私の健康への陶酔は消滅しました。

 

 比丘のみなさん。「聞くことがない凡人は、自分も必ず死ぬのに、死から逃れることはできないのに、他人の死を見るとうんざりして毛嫌いし、自分が死ぬことなど考えもしない。私とて同じことだ。必ず死ななければならず、死を逃れることはできない。死から逃れられず必ず死ななければならないなら、他人が死ぬのを見て我が身を忘れ、うんざりして毛嫌いするのは私にふさわしくない」。比丘のみなさん。このように考えたとき、自分が生きていることへの陶酔は消滅しました。
(引用終)

 

 

 

 昔も今も西も東も、大多数の人は

 

何でも望むどおりになり

 

手厚く愛護されている

 

この王子の生活を熱望している。

 

もし、チャンスが巡ってきたら、この望んで止まない生活を手にするために、どんな悪行為でもやりかねない。

 

 

 実は(出家前の王子が未練なく捨てたように)叶ったところでたいしたこともない望みだが、

おおかたそれさえ叶わず、悔しい死をむかえることになる。

 

しかし、無明の威力によって、

このあほらしい極限ナンセンスに気づくことができない。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(My Favorite Songs)
 イングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリー。
「シーモンの涙」
 
 
(過去記事統合増補編集再録)

生きることは爆弾遊びか(スマナサーラ長老法話)より

 

ブッダのことば(Dhammapada113)


物事が興りまた消え失せる法則を見ないで百年生きるよりも、
物事が興りまた消え失せる法則を見て一日生きることの方がすぐれている。
 

A・スマナサーラ長老「生きることは爆弾遊びか」 ~無常を知るものは人生を知る ~

より引用させていただきます。

 


死に襲われているものには、両親も親戚も子供も財産も、何もしてあげることはできません。そういうものがいくらあっても、人は病気になって老いてむなしく死んでしまいます。仏教の立場から言えば、一般の世界では誰もが大変ありがたがる、自慢に思う生き方、つまり、財産を殖やそう、知識を得よう、結婚して家族を作ろう、権力を獲得しよう、有名になろう、というような生き方は結局は何の意味も持たないのです。このような生き方で、100年生きていても、まったく同じことです。無知な生き方であるならば、50歳まで生きていた、80歳まで生きていた、100歳も超えた、と威張っても何のシャレにもならないのです。

 全てが無常で、消えていく、我が身も無常で消えていく、自分の身体さえも自分のものにならない、それを理解して、何ものにも頼らない心を作ることが人生の成功なのです。命はたとえ1日であろうとも、ものの生滅変化を理解し、心の執着を消した人こそが、人生の成功者です。

[引用終]

 

 
 
 

 大多数の人々は、生まれてから死ぬ直前まで、感情も欲求も思考も丸ごと全部


自分が何を欲しているか知らずただひたすらに生き続けようとする盲目の意志


の奴隷なので、自分が死ぬという歴歴たる事実さえ分からない。
だから無常も分かるわけがない。分かった気でいるから死ぬまで分からない。ものごころつく頃には自分の理性さえほぼほぼ欲の下僕になりさがり、夢中で苦をむさぼっている。

このシュールな状態が「無明」です。

「全てが無常で、消えていく、我が身も無常で消えていく、自分の身体さえも自分のものにならない」
と聖なる真実を聞いて少しも喜べず、それどころか逆に嫌な気持ち、暗い反抗的気分、耳目をふさいで無視するのは、この「無明」のしわざです。歴歴たる事実さえ分からなくさせるのが無明の力です。
 

だから無明は、言葉しか知らない学者達がなにを言おうと、単なる不知ではないのです。

単純に知らないのではなく、「ひたすら生き続けようとする欲望」に全面支配され、
この欲望に都合の悪い事実を、見ても見えず聞いても聞けなくされている状態および力のことです。

単に知らないだけなら知らせてあげれば解決するはずだが、

[知らないことを知らず、知りたくない]

ので、単純に知らせても

[それくらい誰でも知ってるわ]

でスルーして話は終りになり、解決の道を自ら閉ざすのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(My Favorite Songs)

キラーズ。
「サムバディ・トールド・ミー」


The Killers - Somebody Told Me (Official Music Video)

 

(過去記事統合増補編集再録)

 

 

 

とても良い大晦日

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 おれの世捨てられ人生活は、

コロナ前と何一つ変わってません。

あえていえば、今のほうが楽です。

 

昨日いただいた、非常に美味しい奈良漬け。

最近はまってるハイボール

 

とても良い大晦日になりました。

 

 

今年最後の記事です。

よいお年を!!

自分を最後まであきらめない

より引用させていただきます。
 

…人は自分のことを最後まであきらめてはいけません。心は常に悪い方向へ回転する傾向がありますが、いい方向へ導くためには、気がついたところで努力すればいいのです。私はもうだめだと思うのは、仏教的ではありません。だめで元々と思ってでも努力する必要があります。一方、世の中を見ると、社会的な目的のためにあきらめずに努力する人々が見られますが、財産、名誉のために一生をかけるなら、それは仏教の立場から見れば無意味なことです。社会のどの立場にいても、知慧が優れていても、有りあまる財産があっても、心が汚れているなちばその人の人生は何の価値もないのです。清らかな心を作ることこそ、生命にとって唯一の財産になります。それを得るために、あきらめずに努力することを勧めています。たとえ一度だけでも聖者の言葉を聞かない人生は、むなしいものです。


人間は長い人生の中で、色々なことをしで生きています。でも、人が行っているすべての行為はただ生きるためか生きることを楽しむために限ります。死ぬとき、このすべては何の意味もない、無意味なものとなります。ですから生きるため、楽しむためという目的を超えて、人は、清らかな心を作るため、人格を向上させるために善行為を行うべきです。

 特に、聖者の言葉、真理の言葉には我々の自我中心的な心を正しい方向へ導く力があります。そのような真理の言葉は、普通の人間が使うすべての言葉より優れています。


◎経典の言葉


無益な語句をたびたび語るよりも、聞いて心の静まる有益な語句をひとつ聞く方が優れている。(Dhmapada-100)
[引用終。強調は私です]

 
 
 
 ブッダの言葉を学ばなければ、普通の人は、自分が死ぬことさえ分からない
 
たとえ、がんばってノーベル賞をとっても、
けもののサガから出られない。
 
ブッダから学べば、
「自分」は死を超えられないと解り、
無常・苦・無我を知り、
生まれて初めて自由になる。

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(My Favorite Songs)
 
 
(過去記事統合増補編集再録)