「なにがなんでも生き続けるべきだ。
それを邪魔する奴を殺してもかまわない」
それを邪魔する奴を殺してもかまわない」
と、そればっかり。
獣となんら変わらない。
(獣と同じ生き方をして「獣になれない私たち」と言う。)
(獣と同じ生き方をして「獣になれない私たち」と言う。)
獣と同じなら人間に生まれた甲斐はどこにもない。
願って叶うことならまだしも、生き続けたいという願いは
どれほど代償を払っても絶対に叶うことがないのに。
どれほど代償を払っても絶対に叶うことがないのに。
最後に、
からポイント中の最重要ポイント(サティとビリヤ)だけ引用します。
3.サティ(念)
・サティとは、気づくこと、憶えていること。
・アーナパーナ・サティの通り、呼吸に「気づく」こと。
・呼吸が入って、出て行くことに「気づく」こと。
・この気づきが無いと、なかなか続けられないと思います。
・この「気づき」があることで、瞑想になります。
・この気づきが無いと、心が集中できないで、いろいろなところにさまよってしまいます。
・心がさまよってしまいますと、心を集中することが、ますますできなくなってしまいます。
・なので、呼吸が入って、出て行くことに気づいていくことが大事です。
8.ビリヤ(精進:努力)
・瞑想するときも努力(精進)が必要です。努力しませんと、瞑想もうまくできるようにはなりません。
・瞑想で大事なことは、三番目の「サティ(念)」と、この「ビリヤ(精進)」の二つが大事です。
・この二つがありませんと、瞑想を続けることができなくなります。
・ですので、瞑想をするときには、サティ(念)とビリヤ(精進)がありませんと、まずできません。
(過去記事増補編集再録)