うつ病の人の特徴 これを理解すれば鬱は治ります【スマナサーラ長老切り抜き】
大多数の人々は、ブッダの教えを蛇蝎のごとく嫌ってるから、仏教徒が在家で生きるのは並大抵のことではない。
たとえば今でも飲み会の幹事の番が回ってくるだけで、仏教徒は和を乱す苦しい対応を迫られる。
ブッダ涅槃後の仏教徒は、生きにくさに耐えきれず教えを少しずつ少しずつ世間の妄想に合わせていき、2千年以上も刻苦営々、ついに梵我一如のヒンズー教の中に消滅しようとしてる。いったい何やってるんだか。だからスマナサーラ長老のような存在は、現代の日本において奇跡だ。
執着はありふれたものだが、強い執着は異常欲だ。
この異常欲から離れることは
小欲であり無欲ではない。
コントロールされた愛着は
小欲知足だ。
ヒバカリと竜くらい、とんでもなく違うが、世間は混同してる。
完全な小欲知足は、身の程を知るという
弱者の鬱を伴うひねこびた保身術じゃなく、
最高の幸福を得たブッダに現れる
自然な生活態度だ。
すなわち、小欲知足は
悟りの姿だとおもう。
渇愛の追究に幸福はないと明晰判明に知った者に、初めて垣間見える積極的境地だ。
この境地に、実際に達するのは容易ではない。
実は小欲知足になるは簡単なのだが、
それゆえ体得者は極めて少ない。
「易往而無人」は、仏教の用語で、「往き易くして人無し」という意味です。『大無量寿経』に登場する言葉で、阿弥陀仏の誓願を信じる者はたやすく極楽往生できるが、実際にはそういう者はごくまれであることを意味します。
また、念仏は極楽へ往き易い行なのに、真に行ずる人が少ないことを戒めた語でもあります。
苦痛のない状態にあって、しかも退屈がなければ、大体において地上の幸福を達成したものと見てよい。
それ以外はすべて架空だからだ。
(ショーペンハウアー「幸福について」橋本 文夫訳)
平均人は、「苦痛のない状態」を幸福と感じ続けることができず、じきに退屈→不幸感というまちがった道へ入ってしまう。
快楽を求めて、「苦痛のない状態」をあっさり捨てる。
つまり、今や不幸感ではなく本物の不幸へ、すなわち苦痛の状態に陥る。
その後、この現実の不幸から運よく逃げおおせた者は「幸福」を感じる。
しかし、その「幸福」は、いちばん最初の「苦痛のない状態」よりましなものだろうか。
ここのところを、妄想せず、事実を直視できる人間は驚くほど少ない。
自然破壊に加担せずに、ほんとの幸福を感じるのは、
小欲知足
以外ありえない。
(My Favorite Songs)
The Waifs - Crazy Train (Wave Aid 2005)