哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

ブッダは真に革命的なことを教えてる

ブッダの教えは革命的な真理 #shorts #スマナサーラ長老 #初期仏教 #jtba - YouTube

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ブッダは)明らかに人類も、どんな生命も、考えたこともない、考えることも不可能といえるほどの革命的なことを言ってる。

 

 

 

[感想]

「無常」は「難しくない。分かる」と言う人が、
「人生は無意味。一切は無価値」と聞くと「とんでもないことを。それは最悪のニヒリズムだ」と嫌悪し認めないとか、
人間は皆死ぬ、そんなの常識と言うくせに、
自分が死ぬとは知らないとか。

ヴィパッサナー実践しない限り、あなたの妄想は一瞬たりとも止まらない。だから肝腎のことは1ミリもわからない。


人間の死とはなにか。


死とは「人はみないずれ死ぬものだ」ということではない。そんなよそごとの話じゃない。

死とは、自分が、今、死ぬことだ。

こう言うと、おおかたはわからない。

仏教の本質は修行にある。それを考えればわかるかも。
「頭燃を払う」という。
頭についた火を必死で消すように修行しないなら、そんなものは修行ではないとブッダが教えているのはなぜか、一度真剣に考えてみるべきだ。

いつか死ぬのはわかってるが、今日明日の話じゃないとおもってるなら、どんな修行も暇つぶしの徒労にしかならない。
どれだけ長生きしたところで、タイムリミットが来てアウトになる、大まぬけのパターンだ。

ことさらに自分が今死ぬとおもえ、ということとはまったく違う。
修行のテクニックや処世術じゃない。

そうではなくて、それが死ということの眼前の事実なのだ。


…知ってるつもりの人は、ブッダさえ「これは私にもどうしようもありません」と断言してるのだ。

誰もどうすることもできない。

分かった気でそつなくふるまう自分のヤバさ
に、自分で気づくしかない。

[あるのは今この瞬間だけ]
を知る人には、あたりまえのことでしかないが、
そつなくふるまう人には、さっぱりわからない。

ここで見分けがつく。

ごまかして逃げなければ、自己判定できる。

 

 

 

石火電光、目の前なれども、無常幻化なる事をしらず。
(鈴木正三禅師 盲安杖)

 

 

サティ
「瞬間の現在(今・ここ)」に気づくこと。

ヴィパッサナー実践
「瞬間の現在」に気づき続けること