哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

無明=渇愛。誰もどうすることもできない。

 

佐々木閑 仏教講義 8「阿含経の教え 4,その75」(「仏教哲学の世界観」第11シリーズ) - YouTube

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ブッダの説く)苦ということが理解できなければ、まずその仏教という教えの中に入ることはできない。

 

あのね、苦ということが理解できないことは悪いことじゃないんです。善いとか悪いとかじゃなく……

この世の中は楽だと思ってるような連中は間違った奴らだという、そんな人の心をこちら側で是正してやろうという、そういう教えではありません。

 

無明=渇愛

 

〔感想〕

ブッダは、

苦を楽と感じ、

苦に夢中の人は、

当然苦から抜けられない。

という明白な事実を説いている。

善いとか悪いとか言ってるんじゃない。

無明=単なる無知

なら、事実を教えれば是正できるはずですが、

無明=渇愛(強く強く望むという心の働き)

なんです。善悪以前のことで、誰もどうすることもできません。

ショーペンハウアーは適切にも、これを「ひたすらに生きんとする盲目の意志」と名付けました)

 

 

ブッダは目的地(悟り)までの正しい道筋を教えてくれるだけです。自分がそこに実際に行った人の教える道順だけが信頼するに足るものです。しかし、いくら実行可能な条件を完璧にそろえてあげても、頑冥に実行しない人は、ブッダといえども放っておくしかありません。

このブッダの慈悲は、適切で至高のものだとおもいます。