哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

八正道の基本。正見とは。

佐々木閑 仏教講義 8「阿含経の教え 4,その15」(「仏教哲学の世界観」第11シリーズ) - YouTube

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[聞法と感想]

動画3:30辺り

「正見のこの見が重要なので、これこそが四諦、苦集滅道をちゃんと理解し、体得しているかということですね」

 

八正道の最初である正見

とは、端的にいって、なんでしょうか。

 

 

いろんないい方があるでしょうが、

私思うに、正見とは、

 

自分は死を超えられない

 

とはっきりと気づくことです。

端的にいえば、それだけです。

 

 

これは、世間知と真逆なんです。

世間は

口先だけ

人間は死ぬ。そんなの常識。小学生でも知ってる。

と言い、

心で

俺様は絶対死な~ん

と妄想してるからです。

 

 参考(ブッダの真理のことばDh.6 中村 元 訳)

「われらは、ここにあって死ぬはずのものである」と覚悟をしよう。
――このことわりを他の人々は知っていない。
しかし、このことわりを知る人々があれば、争いはしずまる。

(強調は私です)

 

 

 

 

(八正道について)ターン・プッタタートのことば。

正しい見解で正しく洞察する力は、当然その人の知識を、正しい知識体系にします。必ずそうなります。だから正しい見解で正しい目的にすることができ、必ず正しい目的になり、言葉は正しい発言だけになり、行為(カンマ)はすべて正しい行為になり、生活は正しい生活だけになり、努力は正しい努力だけになり、サティは正しい方のサティだけになります。

かならずそうなり、そうならないことはあり得ません。いま述べた理由により、正しい見解の力で、残っている六項目の実践は難しくなくなります。

(以上、ターン・プッタタート の法施図書室(Buddhadasa)

テーラワーダ仏教の不思議なことー1954年ビルマで開催された第六結集にて
より引用させていただきました)

 

こんな素晴らしいパワーを持つ八正道の最初である

正見

を、この場で、今すぐ体得しちゃいましょう。

別にちっとも難しいこっちゃないから。だって

 

自分は死を超えられない

 

と、ごく当たり前の事実を、

決してごまかさず、はっきりと

気づけばいいだけなんですから。

Let's Try!