哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

俺実感、俺のもの実感←自然なことだが、真実ではない。

佐々木閑 仏教講義 6「阿含経の教え 2,その44」(「仏教哲学の世界観」第9シリーズ) - YouTube

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自我(俺、俺のもの)は、人が世界を解釈し適応し生きるために必要なインフラとして自動作成されるように、人のDNAにプログラムされてるとおもう。ブッダは、この自我プログラムに深刻な貪瞋痴バグがあると説いた)

その証拠に、すべての無垢な赤ちゃんは、物心つく前に、もれなく貪瞋痴に汚染された「俺・俺のもの」の落とし穴に落ちてしまう

 

 おもちゃを取れれた子が「ギャーッ」と叫ぶ。

あれは、おもちゃが欲しくて泣いてるんじゃない。

 

 俺のものを盗った!!!

 

と怒ってるんだよ。

 

そして、

これを見た親達は皆嬉しそうに笑ってるからね。

 

親にも子に自然に愛されてる幻想の頑丈さ!

 

 

 

 

 

 

 

 ブッダが発見した

 

無我という真理

 

は、生物一般の宿命的盲点になってる。 

 

賢愚を問わず誰もが「俺」ほど確実な実感は他にないと思いこんでるから、

「俺、俺のもの」は錯覚だと言われたら「…あほか」と聞き流す。

 

 

 

佐々木先生は、たとえとして

「どうしても螺旋に見える」

トリックアートを示された。

おれも、たとえ話をひとつしよう。

 

 

 

水の入ったグラスに差してあるストローは

折れ曲がって見える。

光の屈折でそう見えるだけで、

本当はまっすぐだと誰でも知ってる。

 

しかし、ストローはまっすぐだと知ってからも、

グラス越しのストローは

なにも変わることなく曲がって見えてる。

 

 

光の屈折が理解できない原始人なら、

いくらストローはほんとは曲がってないと説明しても、

 

いや曲がってる。

この目で見てるから間違いない。

絶対まっすぐに見えないから

 

と言い張る。

 

もしまっすぐに見えたら、

それこそおかしいわい

 

 

気づいてしまえば

「なんだ、そんなことか」

という単純明白な事実なのに、

気づかないうちは、ほとんど理解し難い。

 

ブッダだけが、「我」は錯覚だと、

ストローをグラスから抜き出して見せるように、

明晰判明に示した。

 

 

 

ブッダは、アートマン(我)を立てることは愚か者のごまかしだと明言してる。

しかし人類は現在に至るまでアートマン(我)のいかに物凄まじい欠陥を見せつけられ続けても、これを捨て去ろうなどとは露程もおもったことがない。

なにしろ現人類は、貪瞋痴の苦しみを、夢中で楽しんでる真っ最中だからだ。

 

自我という砂上楼閣の頑丈さよ!

ひたむきに生きんとする盲目の意志のひたむきさよ!

これはほんとにどうしようもないほどだ。

 

 

 

 

 

人類の実相は、まずこのアートマンプログラムに執着讃嘆する天文学的な長い時期を経てのちに、ようやく飽きて、ではブッダの教えも聞いてみようかいという気分に、ちょっとはなるかもといった心細いレベルだ。

(人類絶滅が先になる可能性高い)

 

それまでは、アートマンを、不死の魂、真我、大我、仏性と様々に呼び変えては隠し持ち、絶対に捨てない。

 

そして

 

唯一絶対宇宙創造人格神

 

アートマンの最終形だ。

 

人は、生きるためのインフラとして偽造した自分意識(アートマン)に、今や逆支配され我欲の奴隷に落ちぶれてる。

そんな社会がすっかり爛熟期に入ると、一時的退廃を経て、アートマンの最終形たる唯一絶対宇宙創造人格神に関する祭祀や苦行に、内外呼応する益体もないハーモニーを感じて夢中になる。

アートマンを(魂、真我、大我、仏性、どんな名前で呼ぼうと)保持する社会は、爛熟するたびに何度でもこの唯一絶対宇宙創造人格神を見いだし、

 

「おお神様 神様 助けて パパヤー」

 

と掻い付き、祭祀と苦行の暗い穴倉に入る。

自我を捏造し、自我の都合ですべてのデータを改竄し、自我の化物である神にひれ伏す茶番の中で滅びる。

これを切りなく繰り返してるだけ。

 

 


ブッダは、それは人が陥る落とし穴だと教えてる。

 

ブッダのことば スッタニパータ249 中村 元訳)
魚肉・獣肉(を食わないこと)も、断食も、裸体も、剃髪(ていはつ)も、結髪も、塵垢(ちりあか)も、粗い鹿の皮(を着ること)も、火神への献供(けんく)の奉仕も、或いはまた世の中で不死を得るための苦行も、神呪(しんじゅ)も、供犠(くぎ)も、祭祀(さいし)も、季節の荒行も、それらは、疑念を超えていなければ、その人を清めることができない。

(引用終) 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(My Favorite Songs) 

Gonna Make You Sweat (Everybody Dance Now) (Official HD Video) - YouTube

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(過去記事統合増補編集再録)