数十年来遊び仲間だったKが自殺してから、もう11年経った。
Kは自殺決行の10年前から「近いうちに自殺する」とまわりに宣言していた。Kは覚悟の身辺整理をしたり、やっぱり思い直したりを繰り返していたようだ。
そのうち「嘘つきK」などとあざ笑う、無考えなヤカラも出てきた。
おれは、自殺を絶対やってはいけない悪事だとはおもえない。
それで、「人生の目的の第一歩は、生きること、である。何のために、という答えは、あとからついてくる…」という五木寛之の言葉を伝えて「自殺なんてつまらないからやめろ」としか言えなかった。
その後、おれの引越その他の事情で、5,6年疎遠になっていたが、死ぬ1月前ひょっこり来た時はごく普通の感じだった。(よかった。まだ生きていた。やめたんだな)とおもった。それが最後だった…
リクライニングチェアに横たわり、サボっていた呼吸瞑想をやる気になる。
息を細かく隙間なく意識して「入る入る入る」「止まる」「出る出る出る」「止まる」の繰り返し。
脳は絶え間ない自覚的意識の持続を嫌がって怠けたがり、たいして眠くないはずの身体に居眠りをさせて瞑想を妨害する。
眠気がなんとかおさまると、すかさず雑念が襲いかかってくる。
雑念はいちいち気づいて切るのではなく(おれはこのやり方はうまくいかない)強引に呼吸だけに集中することによって無視して相手にしない。呼吸は、強引に意識するので、自然ではなくなる。
何度やっても、どうしてもサティを入れる前と後で変ってしまう。実際、意識した対象が何の影響も受けないって法はない。(変って当たり前だ)とおもい「今はこれしかできないから、これでいい」と居直ってしまえば楽になる。
それは自然ななりゆきで、問題ないとおもう。
Kの死をおもい無常を実感して瞑想に入ったから、わりと集中できた。
ヴィパッサナーとは微妙に違う。