哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

空と雲の下

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 この数年、夏になると毎日、涼を求めて近くの川に行っている。


 ライフジャケットを着けて橋の陰に入る。水が首までくる深さの場所に立つ。
川面のさざ波に光が映り綺麗だ。空も晴れ渡り綺麗だ。遠くの鉄橋を電車が何度も通って行く。白い鳥が周りを飛んだり中洲で休んだりしている。美しいパノラマだ。
両手を下げて腰に付ける。手の感覚を意識する。右手を水平になるまで前方に持ちあげる。感覚を意識し続ける。水中なのでほんの僅かな力で上げることができる。ゆったりした動きに自然になる。水平に真横まで動かす。腰に付くまで下ろす。これで最初の状態に戻った。左手で同じ動作をする。以下繰り返し。
1時間くらいは続ける。
水中手動ヴィパッサナー実践ってとこだな。
獣に生まれたものにはできないことだ。
人間として命のある間でしかやれない、真に贅沢を極めたことだとおもう。


海で試みたこともある。その時の日記。
 今日も11時過ぎ川へ。
盆休みも終わり閑散としていたのに、今日はなぜかおおぜい居る。水の中にも子供たちがたくさん遊んでいる。
いつもの場所で手動ヴィパッサナー。
一人の少年が川底の石を拾ってはまわりに投げはじめた。
延々繰り返し投げ続けてるが、少年は全然まったく飽きないし疲れない。さらに周りの連中がそれに触発されて飛び石遊び(水切り)などして騒ぎ出した。
巻き込み事故を避けるため、ほぼ対岸まで避難してヴィパッサナー続けるがどうも集中できない。
そのときおもいついた、ここから近くの海水浴場まで車で15分。盆明け以降の海は電気クラゲが発生しやすいとかで泳いでる人は少ないはずだ。よしソッコー海へ移動。

予想どおりというか…海の中には誰もいない。波穏やか。
ライフジャケットを着けて、首まで浸かる位置へ前進する。
幸い今日はクラゲもいないようだ。
眼界すべてが、ただ美しい海と空!美しすぎる…
手動ヴィパッサナー、開始。








…川と違って橋の下のような日陰がどこにもないので頭が暑くてたまらない。それに穏やかなようでも海の波は押す力が強い。体が持っていかれそうになり…どうも海で水中手動ヴィパッサナーはやり辛いと判明。撤収~。
この後川に戻り(もう子供たちはいなかった)いろいろ試した。
陰がなくて頭が暑ければ帽子を被ればいいし、膝をついた姿勢で水が首までくる浅瀬でやれば少々の波が来ても安定する。やり方はあるわけだ。膝つきの状態の方が速く集中するときもある。



(過去記事統合編集再録)