哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

欲をもって欲を戒める

幸せになりたい〈欲〉で仏教しても大丈夫? スマナサーラ長老の初期仏教Q&A|ブッダの智慧で答えます(16 July 2023 北とぴあ) - YouTube

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動画0.45頃

幸せになりた~い

とすごい欲張って

仏道に入っても

大丈夫です。

 

 

 

 
 
より引用させていただきます。
 
ある経典で、お釈迦様は比丘たちにこのようにおっしゃいました。
もしどこかのお坊さんが悟りを開いたと聞いたなら、
悔しくなってでも、慢心を持ってでも、自分も悟れるように精進しなさい
」と。
あの人にできたのになぜ私にできないか、
あの人に努力できたのになぜ私に努力できないか、
このように他人と比べることは慢心であり、
ほんとうは悪いことなのですが、
ある経典でお釈迦様は、
そういう気持ちを持ってでも解脱するために頑張りなさいとおっしゃっています。
これは「欲をもって欲を戒める」ということで、
「自分も悟りたい」という欲を作るのです。
隣のお坊さんが悟ったらすごく悔しい。
「私もやるぞ」という大きな欲といいますか、希望を作って頑張るのです。
……………………
……………………
心の汚れを最終的になくすことができるのは、今の瞬間に気づくという「ヴィパッサナー」です。これは私たちの心を清らかにする唯一の道であり、最も効果的で、すぐれた実践法なのです。
 
(引用文中の強調はわたしです)引用終。
 
 
 
 
 
 
 
 
おれが子供のころ

♪勝あつとおもうな~おもえば、負けよ~♪

という歌が流行っていた。

勝ちたいという欲を出すと負ける、という考えだ。

 

 

 

 

 

 

 

ところが今では、これが逆になって、
現場では自分が勝った姿を頭の中で何度も思い描く
「イメージトレーニング」が行われてる。

勝ちたいという欲を活かして勝つ、という考えだ。

「勝つとおもうな。おもえば負けよ」は、
とんと聞かなくなった。


「勝つとおもうな。おもえば負けよ」
は現実の人間の身の丈に合っていない
『高級な教え』
なので役に立たず、廃れたのだとおもう。


仏教にも「悟ろうとおもうな。悟りたい欲を捨てよ」
という
『高級な教え』
があるが、現実の人間の身の丈に合わないので、
害毒のほうが多く、
修行実行者の役に立たないとおもう。

 

 

 

 

 

真剣な修行実行者がほとんどいない欲まみれの世間で、
このような『高級な教え』だけが通俗化され、
謡曲にもなって大ヒットする事が、
実際に何を
明らかに示してるか
を、よく考えてみるべきだ。

 

 

 

 

 

 

悟りたいという
慢心をもってでも
頑張るのが正しい。

 

現実の人間を、

ブッダは誰よりも深く知っていた。

 

 

 

 

 

(My Favorite Songs)

ラム・ジャム Black Betty

 

 

これはカヴァーで、原曲はこれ。

 

レッド・ベリー Black Betty

 

 

ラム・ジャムは見事なカヴァーで原曲の素晴らしさを、

おれみたいな素人にもわかりやすく伝えてくれてる。

 

他にも多くのミュージシャンがこの曲のポテンシャルの高さに注目してカヴァーしてる。

 

これも。

メイソン・ラックバンド Black Betty 

 

(奥で動いてる人が気になって…) 

 

 
(過去記事増補編集再録)