哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

子供に性加害する神父、グループぼけ組織の隠蔽。

ウィキペディア 映画『スポットライト 世紀のスクープ』 ストーリーより引用させていただきます。

2001年、マサチューセッツ州ボストンの日刊紙『ボストン・グローブ』はマーティ・バロンを新編集長として迎える。バロンは同紙の少数精鋭取材チーム「スポットライト」のウォルター・ロビンソンと会いゲーガン神父の子供への性的虐待事件をチームで調査し記事にするよう持ちかける。チームは進行中の調査を中断し取材に取り掛かる。

当初、チームは何度も異動させられた一人の神父を追うが、次第にマサチューセッツ州カトリック教会が性的虐待事件を隠蔽するパターンに気づく。虐待の被害者のネットワークに接触したのち、チームは13人の神父に調査対象を広げる。統計的には90人程度の神父が性的虐待を行っているはずだと言う指摘を受け、病休あるいは移動させられた神父を追跡して87人のリストを得る。カトリック信者の多いボストンで、チームは様々な障害・妨害にあう。

調査が佳境に差し掛かる頃、チームは9月11日を迎える。テロの後、チームの調査はしばし棚上げされる。枢機卿が虐待事件を知りながら無視したという公的な証拠の存在をつかみ、チームは活気づく。ロビンソンはカトリック教会の組織的な犯罪行為を徹底的に暴くために記事の公開を遅らせる。チームはより多くの証拠を公開するよう求めた裁判に勝ち、2002年にようやく記事を公開し始める。

記事公開の直前、ロビンソンは、1993年に性的虐待を行った20人の神父のリストを受け取りながら調査をしなかったことを告白する。だが、バロンはチームが今、犯罪を暴いたことを称賛する。翌日、チームは多くの犠牲者から告白の電話を受け始める。合衆国および世界中で聖職者による性的虐待のスキャンダルが明るみに出る。隠蔽行為を行った枢機卿は辞任するが、ローマの大教会に栄転する。

『スポットライト 世紀のスクープ』予告編

www.youtube.com

 

 真実にじりじりと迫って諦めない記者たちの姿を丁寧に描く見事な脚本。

映画の基になる重大な実話の粗筋を知っているので、 おもいきり地味なストーリーの意味が分かり、かえって引き込まれていく。

 

 自分を心から信頼している無垢なる者に、性的虐待を加え、相手の精神を破壊する「聖人君子」。
その悪質な隠蔽の積極的共犯者となるグループぼけした組織人達。
 
(本当は誰でもとうに気づいている普遍的事実だが)
この無残な有様は、カトリック教会だけでなく、世界のあらゆる組織(宗教組織に限らない)に、昔から実際にあり、今もあり、これからもあり続けるに違いない。
貪瞋痴の人間のやることは、古今東西、皆同じだからだ。
 
 
 
 
 
親鸞聖人の言葉を噛締め痛感する。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(My Favorite Songs) 
 
 (過去記事編集再録)