哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

強欲、怒り、性欲、所有欲、嫉妬に同化せず 見守る訓練

(『存在の詩』 Osho)から引用します。

 

 漂っているのは思考であり
あなた自身は思考ではなく思考が漂っている空間そのものである

 

 

 

決して目に見えるものと戦わないこと
さもなければ、あなたは影法師と戦っていることになるだろう
それでは、あなたが自分自身をすりへらすことはあっても
あなたの人生にはこれっぽっちの変化も起こり得ない
同じ問題が何度も、何度も持ち上がることだろう

ひとつひとつの独立した問題を解決しようなどとしないこと
そんなものはありはしない
心そのものが問題なのだ

 

 

 強欲を見守りなさい 怒りを見守りなさい 性欲を見守りなさい 所有欲を 嫉妬を…ひとつだけ覚えておかれねばならないこと…同化されてしまわない ただ見守るだけでいい

 

 

 

 社会の目標はどうやって適応された個人を作りだすかに尽きる 
しかし、もしその社会全体が間違っていたら それに適応されるのがいいことであるはずがない
もしその社会全体が狂っているとしたら それに適応するのは狂うことでしかない


まずはじめにほかの誰に奉仕しはじめるより先に完全に利己的になれ


 

 

 

 

 

 

忘れっぽさこそ真の闇だ

 

 

 

 

 

 

 

<体験>にではなく その<観照者>に焦点をあわしなさい
たとえどんなに素晴らしくても一切の体験はみな夢もどきにすぎない

人はそれらをすべて乗り越えて行かなくてはならないのだ


 

あなたのちっぽけな自我によってあなたは<全体>と戦う
それには何百万生もいることだろう それでもまだ、悟るなどということはありそうにも思えない
<全体>と戦うなんてばかげている あなたはただの一部分に過ぎないのだ
それはまるで波のひとつが海と戦っているみたいなものだ 一枚の葉っぱが木と戦っているようなものだ 一体誰とあなたは戦っているのか?

道徳は闇と戦おうとする
宗教のほうは内に隠された光を目覚まそうとする


自分の人生を決まりきったパタ-ンにはめ込もうとしないこと それがそれ自身のコ-スを取るのを許すのだ すべてを受け容れなさい 受容を通して二元性を越えなさい
そして生がそれなりの進路を取るのを許すのだ そうすればあなたはたどり着くだろう
必ずたどり着くだろう この必ずというのは、あなたがたを安心させようとして言っているわけじゃない それが事実だからこそ言うのだ これはあなたがたの安全性の保証じゃない 野生のものは必ずたどり着くのだ
それが何であれ自分が今いる場所を・今の自分を・そして自分に起こっていることのすべてを受け容れてごらん
それで初めてあなたは「ゆったりと自然に」なれる
さもなければそれは空念仏にしかすぎない



この瞬間こそ彼にとって唯一の瞬間だ 次の瞬間は次の瞬間が自分で面倒を見る 次の瞬間が来たときに彼はそれもまた受け容れる…楽しみ、至福に満ちて…








<体験>にではなく その<観照者>に焦点をあわしなさい
たとえどんなに素晴らしくても一切の体験はみな夢もどきにすぎない
人はそれらをすべて乗り越えて行かなくてはならないのだ

(引用終)










 いろんな意味を込めてのOshoの説法だとおもいますが、

 

要するに

 

ヴィパッサナーを実践しなさい
 

って結論になるとおもいます。


ヴィパッサナー実践←参照
Osho(バグワン・シュリ・ラジニーシ)←参照

 

 

 

 

(過去記事編集再録)