人間が死すべき不可避の運命に縛りつけられていることは、人間にとって最も大きな恵み・救いである。
もし、死ななければ、人は底なしに堕落してゆくであろう。
これは、百年足らずで死ぬために、堕落が途中でストップするという意味での救いではない。
そういうことではなくて、死が必ず自分にやってくるという未来のある日が、現在ここに生きているおれを常に堕落とは反対の方向にひっぱっている。
この力は、人がそれを(自分が死ぬということを)意識しようがしまいが、必ずはたらいている。
なぜなら、自分が人間であり、人間は必ず死ぬことを本当に分からないなどという人間はいないからだ。
自分の死の予感に恐れ、自分で自分を騙す不誠実な生活(死はあの世へのお引越)を選んでいる
おれは、死は人の嫌がる話だと分かっているが、あえてする。
死の生に対する良き働きを活性化するためには、生きてるうち、元気なうちに、一回、自分なりに精一杯死にきることが一番有効だと信じているからだ。
人間一般や、あれ、これの人間にではなく、まさにこのおれ一個の存在めがけて必ず死は襲いかかり、確実に滅ぼすという事実、しかもそのおれの死がなんであるかを、おれはけっして知ることができないという事実、…この二つの大きな事実が、おれを最終的に救う力だ。
ブッダは、この特別な活力を、
聖なる苦の真実「苦聖諦」
とよんだ。
(過去記事編集再録)