哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

アーナーパーナはヴィパッサナーじゃない?

 ヴィパッサナー瞑想としてアーナーパーナサティを勧めるのは矛盾、アーナーパーナはサマタ瞑想だから。という人に。




マハーシサヤドーと現代のヴィパッサナー瞑想法.pdf コーサッラ西澤訳より引用。
質問 16
アーナーパーナ(出息、入息)はサマタ瞑想ですか?ヴィパッサナー瞑想ですか?
答え
禅定を得た人であれ、得ていない人であれ出息、入息をイメージや形などを想像し瞑想すればサマタ瞑想になり、ヴィパッサナー瞑想にはなりません。
息の接触、動きを重視して瞑想するとヴィパッサナー瞑想になり、禅定への道サマタにはなりません。
(How to practice Vipassanæ meditation, I )
(引用終)










 実際に、自分でやればはっきりわかること。実践上なんの矛盾もない。

高名な仏道解説書に、アーナーパーナはサマタ瞑想だと書いてある。迷惑な話だ。
学者が書いた解説は、概念や形式に囚われたミスが多い。





(過去記事増補編集再録)