哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

円熟のスマナサーラ長老法話

 スマナサーラ長老の法話はどれも素晴らしいし、最初から最高に素晴らしかったのだが、それでも最近の法話は円熟という感じがする。
究極の真理を究極の解りやすさで説いてくれている。


[法話(青字部分が長老のことばです)]

誰でも「私」という実感がありますね。これ本当は、私という実感では無いんです。ただの実感なんです。ただの実感に、わざわざ主語を入れているんです。

I feel

じゃなくて

there is feeling

なんです



質問
「先生が亡くなられた後は、わたしたちは何をともし火にすればいいのでしょうか?」

 これは正直、おれも同じ不安を感じている。

回答
スマナサーラ長老)

これはまずいんですよ。 仏教は、人に頼る教えではありません。 ブッダに頼るんですよ。……

ブッダが皆様の指導者で、ブッダが皆様の善友で、皆様の灯火なんです。不完全で欠点だらけのスマナサーラを指導者にするんじゃなくて、ブッダを指導者にしてください。



お釈迦様がおっしゃる幸せは解脱に達すること

それは一人でやらなくちゃいけないんです。一人一人で。

[以上]




 ひとは何でも群れてやりたがる。
 一人でやれと言われると、ビビッて逃げ出す。
 逃げ隠れするとこなんか、どこにもないのに。