哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

芸人の名言



北野武
 最後まで押し通せなかったらやさしさではない。
途中でくじけるなら悪人になればいい。
やさしさは根性です。



北野武は今や芸能界のブッダです。


松本人志
 人生なんて楽しいもんやないんや。だから楽しまなあかんねん。

 幸せとは自分が不幸せなことに気付いていないことだ。

 みんな俺を自信過剰だと言うけども、自分に自信持たな、どうすんねん。

 自分の答案用紙の中で100点取るしかないんですよね。人の答案は問一から問題違いますからね。



松ちゃんも若いときにある種覚醒の瞬間を体験してる、とおれはおもいます。でなきゃこの鋭さはありえないでしょ。

太田光
 漫才のネタはつきることがない。あとからあとから事件は起こり続ける。
そんな途切れなく起こり続ける悲劇を喜劇につくりかえることが、我々の運命だと思ってる。

 自分に嫌われたくないから他人に嫌われる。



他人に嫌われたくないから自分に嫌われる人が多い中、「ピカリ」は立派ですね。
当たり前の選択なんだけど、これをできる人はごく少数です。




 3人ともテレビの時の印象とは別人のようです。
こういう話を、大多数の人達も子供じゃない限り別に仏教を学んでなくても、うすうす知っているが、はっきり気づきたくないし聞きたくないんだとおもう。
事実にはっきり気づいて受け入れるのと、うすうす知って怯え自分で耳目をふさぐのでは、その間に天地の差があります。神と被造物くらいの違いがあります。
そういう臆病な人達には、たとえ流れで訊かれることがあっても、ほんとに知りたがっていないなら話さない。
知らないんだ、分かってないんだとおもって単純に事実を教え伝えようとしても、それは徒労に終わります。相手はその事実そのものをまさに恐れてるわけですから。
ある時は知らないと言い、ほんとに知らない気になります(生きることは苦だ等)。
また別の時は知ってると言い、ほんとに知ってる気になります(人は死ぬものだ等)。
どっちも自分がはっきり事実に気づかないための防御反応です。


一切皆苦に繋がる話は、注意して伝える相手を選び場所を選び媒体を選ばざるを得ない。

どんな事情でも、周りが泣いてるから自分も泣くというようでは仏教を学んでる甲斐がない。周りに合わさないと非難されるアホ状況には、なるべく関わらないようにする。関わりが避けられない場合は、波風立てないようになんとか凌ぐしかない。


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(過去記事増補編集再録)