哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

知ってるつもりの人は、誰もどうすることもできない

知ってるつもりは、知らないよりヤバイと皆に知らせたい!

 過去記事 あるのは「今この瞬間」だけ でこう書いた。
…吸う息吐く息の今に意識を集中する。

なぜ今を意識する必要があるのか。

実際にあるのは「今この瞬間」だけだからだ。

過去は今の記憶に過ぎず、未来は今の予想に過ぎない。

イ・マといってもマのときにイはない。
瞬間だけだ。

人は誰でも、この真実を理屈でわかるだけではだめで、実際に前後の妄想を裁断するためのトレーニングが必要だ。

数日前の記事 過去も未来も作り物 でも
ほんとに存在するのは今のこの瞬間だけ。
過去も未来も作り物、存在しない。
誰もが、今この瞬間だけを生きている。
これ、知ってるのと知らないじゃ天地の差。

知ってるつもりは、一番ヤバイ。
誰もそいつを助けられないから。
とリピートした。


同じものを別の角度から見せたりもした。
知ってるつもりは、知らないよりヤバイと気づいてほしいからだ。
人間の死とはなにか
死とは「人はみないずれ死ぬものだ」ということではない。
そんなよそごとの話じゃない。

死とは、自分が、今、死ぬことだ。
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ことさらに自分が今死ぬとおもえ、ということとはまったく違う。修行のテクニックや処世術じゃない。そうではなくて、それが死ということの眼前の事実なのだ。
と書いた。

[あるのは「今この瞬間」だけ]を知る人には、あたりまえのことでしかないが、知ってるつもりの人には、さっぱりわからない。ここで見分けがつく。逃げなければ自己判定できる。

ほかにも「無常」は認めると言う人が、「人生は無意味。一切は無価値」と聞くと「最悪のニヒリズムだ」と嫌悪し認めないとか、人間は皆死ぬ、そんなの常識と言うくせに自分が死ぬとは知らないとか…知ってるつもりの人を、ブッダさえ「これは私にもどうしようもありません。」と断言しているのだ。 誰もどうすることもできない。自分のヤバさに自分で気づくしかないのだ。