哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

夢も希望もないことは不幸じゃないのに


92歳のおばあさんが言った。
「わたしらもう夢も希望もない」


90過ぎてまだ夢や希望を持とうなんて、ずうずうしい。もう終わりだって。










 大多数の人々が夢・希望と呼び大事にしているのは、たいてい妄想だ。
妄想を夢・希望と名付け依存し、しがみつき、誰も捨てようなどと思えなくなっている。

そして諸々の妄想のうちで
自我妄想
が、この世の全ての争いと苦しみと惨めさの根本原因であり根本悪だ。人生の最後に裏切るものが妄想でなくて何だというのか。

 妄想を「これは妄想だ」とはっきり気づいて、弱い心の避難所にしているのを止めない者は、ゆっくり落ちぶれて最後に破滅する他ない。




 スマナサーラ長老の言葉を引用させていただきます。
仏教ではなぜ、口をすっぱくして妄想の悪口を言うのでしょうか。それは人間にとって唯一の救いである「理性」を妄想が壊してしまうからです。

(「ブッダの教え1日1話」7/5より)

心がいまより、1分前(過去)のことにも、1分先(未来)のことにも、引っかからないようにするのです。そうすると、妄想は止まります。

(同7/6より)

「今を生きる」ならば、その瞬間から人は幸福になっているのです。

(同7/11より)引用終



…老婆心で言い足しますが、
自我妄想(小我)を捨てきれず、苦しまぎれに集合妄想(大我)に逃げ込むという半端をすると、事態は急劇に悪化します。この殻も休まずぶち抜く必要があります。それができないなら、元の単純な我利我利亡者に徹したほうが、明らかにマシです。


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(過去記事統合増補編集再録)