哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

心の天動説は幼稚すぎる。自我幻想で苦しむのは、もういいかげん終わりにしよう。

 昨日、YouTube散策していて、たまたま行当たった

哲学チャンネル

難しい哲学を、たいへん分かりやすく解説してくれてて、ありがたい。

昨日昼間半日くらい、ながら視聴ですが、聴かせていただきました。

 

<わたし>の根源は左脳にある?|脳と自由意志#8 - YouTube

 

哲学チャンネルさんの解説を、一部引用させていただきます。

 

意識よりも早く行動が行われることは実験で実証されています。 カリフォルニア大学のベンジャミン・リベット教授が行った実験によると 「指を曲げよう」と【意識】するより前に 脳は筋肉に「指を曲げろ」と信号を発信していることがわかりました。 平均で0.35秒、意識よりも脳の信号のほうが早いというのです。…

 

 

人間の活動すべては無意識に行われていることとなります。
無意識で行われたあらゆることに、左脳が後付けで解釈をし
それを【意識】として表出させるのです。

そして、意識を連続的に感じている【わたし】という感覚は
あたかもからだを支配する統率者のように捉えられます。
つまり、自由意志が存在しているような感覚を得ているのです。

(以上、引用終)

 

 

 

過去記事

受動意識仮説 「自己をととのえよ」の意味(201112)

から、増補編集再録します。

 

人間は物事を自分で判断していると信じているが、それは幻想だ。
判断は五感の刺激と無意識反応でほとんど自動的に決定され、意識はたいていその事後承諾と自己弁護しかしてない。

 

 
 
下の動画を見てください。
 
自然レベルの「意識」をたとえると
 
自分をワンマン社長だと勘違いしてる
間抜けな社史編纂室長
 
と。見事なたとえ!
 
 
 
おれは仏教徒なので、
たとえばカルヴァンのような
神による決定論や宿命論が大間違いだと知ってる。

 
 
ブッダのことば

実に自己は自分のあるじである。
自己は自分のよるべである。
ゆえに自己をととのえよ。
(ダンマパダ380)

 

 
 
 サティとヴィパッサナーの努力によって、五感の刺激と自動反応の奴隷に過ぎない自分意識にはっきりと気づき、愚かな自己弁護の幻想から覚め、よくととのえられた自己で自分意識の主人に昇格する道を、ブッダは説いた。


自己をととのえよ←これだけが本当に唯一の答えだとおもう。

 

目的地(無我)に着くまでは、

目的地に行くという自己意欲が必要だが、

目的地に着けば、

その自己意欲は役目を終え、消えてる。

あたりまえの道理であり、

分からない方がどうかしてる。

 
 
 
心の天動説は幼稚すぎる。
 
ダッサい。
 
もういいかげん終わりにしよう。
 
各自がコペルニクス的転回をするべき時だ。
 
自我幻想から覚めれば、
 
新しい世界が開ける。
 
無我まであと一歩!

…自我幻想から覚めきれず、大我(グループボケ)に落ちるくらいなら、まだ我利我利の利己主義者でいるほうがましだけど。
 
 
 
もう一言だけ
学者は滅苦を目的に据えないから、
理論が迷走する。
非我だと梵を認めることになり、
自我幻想は保持されたままだ。
 



サティ
「瞬間の現在(今・ここ)」に気づくこと。

ヴィパッサナー実践
「瞬間の現在」に気づき続けること