普通の善男善女は悪人
台風の時、壊れた傘をごく普通の善男善女が平気で路上に捨てていく。
暴風のさなかに捨てたら飛んでいって人に刺さるかもしれないと誰でも想像できる。こういうのを未必の故意という。要するに、
ばれないからセーフ
と判断してるんだと思う。
※未必の故意【みひつのこい】
実害の発生を積極的に希望ないしは意図するものではないが、自分の行為により結果として実害が発生してもかまわないという行為者の心理状態。(三省堂 大辞林)
この前、用事で行った銀行の駐車場で女性の運転する車がバックして、駐車中の車にゴツンとぶつけるのを見てしまった。
運転席の女性は約2秒間様子を見てから、しらっとした顔で走り去った。
この人が多少なりとも自己観察ができれば、こう気づくことができるかもしれない。
今まで私は善人だと思ってたけど、私って実は悪人だったんだ。
ばれないからセーフと思う人は自分にばれていることに無関心な人だ。
自分の心は自分でどうにでもできると思い込む暗愚の人だ。
さあいよいよ死ぬというその時に、それが間違いだったとぼんやり気づくが、もうなにもできない。
この前の福島原発事故の利害関係者のなかにも今まで私は善人だと思ってたけど、私って実は悪人だったんだと気づいた人がいっぱいいると思う。
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(過去記事編集再録)