哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

ガイアの決定が下る日

 最近の異常気象増加が気になっている。

福島原発事故のあと、次々襲ってきた豪雨台風は、人間が汚した草木国土の放射能ガイアが洗い流そうとしてるように感じた。
それは人類そのものを、ガイアが
洗い流すべき汚いゴミ
と決定する日が近づいてる予兆じゃないかと。

自然界の秩序を限度を超えて乱せば、ガイアは「こいつらジャマ!作りなおそ」速攻潰して捏ね直す。
その限界がわりと近づいてる気がしてる。
世界の人口爆発も、人類繁栄の結果でなく、滅亡の原因とみるべきだおもう。

 昔、米ソが原水爆の製造競争をやってた時代「こんなことを続ければ人類は滅亡する」と言ったら「滅亡したっていいでしょう。すべては自然の営みです」と応じた人がいた。おれはこういう考えに同意しない。
火の中に手を突っ込めばやけどするという自然法則を知って、自分も他人にも手を突っ込まないように学び教えあうのが人間だとおもう。自然法則の結果はいくつもあるので、なるべくましなのを選ぶことは可能だし、その努力はしたほうが良い。
この人間の営みも自然法則の枠内ですから問題ないでしょ。 



 どの民族の神話にも、原爆の被害や原発事故の厄災を予感させるものはない。つまりすでに人類の想像力を超えた事態になっている。

“ソドムとゴモラを滅ぼした神の火”など普通の火を大きくしただけの単純な想像に過ぎない。この類の神話や民話なら世界中にある。本質は火が収まった後の放射能汚染にある。被曝はあらゆる生物を内部から遺伝子レベルで狂わす。それは人類がかって一度も想像できなかった事態だとおれはおもう。


チェルノブイリで、がんになった子どもが異常に増加したが、いい事は何も起きてない。放射能を浴びて何人かはスーパーマンに変身するといった漫画みたいな想像をしてる奴は阿呆だ。“放射能のおかげで“強力な免疫機能を獲得するには何万年もかかることだろう。そのはるか前に絶滅する可能性のほうがずっと高いと、おれは感じてる。

また、人類が戦争などで「適当に」殺しあってきたことが、結果として人口調整になることと、放射能が撒かれて殺されていく事態とでは本質的にレベルが違う。


ちなみにノアの洪水や最後の審判のイメージを、おれは一神教の与太話などとおもっていない。
仏教徒のおれにとって“ガイア”はダルマの擬人化に過ぎない。ダルマをガイアとして擬人化すると、因果法則はガイアの意思として表現される。「こいつらジャマ!作りなおそ」と書いたのは、そのほうが話が伝わりやすいだろうという老婆心だ。

このままなら、状況は加速度的に悪化するとおれはおもっている。

まあこれは感じ方の違いだから、多くに共感してもらえるとはおもってないが。


(過去記事増補編集再録)