修行が進まないのは、お前が自分を信じないからだ
病なんの処にか在る。病は不自信の処に在り。(臨済録)
修行が進まないのは、お前が自分を信じないからだ。
と臨済禅師は断言している。
同じことを
「汝が信不及なるが為に、所以に今日葛藤す。…少信根の人、終に了日無けん」「如今の学道の人は、且く自ら信ぜんことを要す。外に向って覓むること莫れ」「汝、若し如法ならんと欲得すれば、直に須らく是れ大丈夫児にして始めて得し」「汝が一念の疑は、即ち魔の心に入るなり。菩薩の疑う時の如きは、生死の魔便りを得。但だ能く念を息めよ」「汝の心心不異なる、之を活祖と名づく」等々、キリがない。
釈尊の「自灯明」の重要さを、骨を惜しまず説いているのだ。
臨済禅師の「自信」といい、釈尊の「自灯明」といい、とてつもない奥行きのある言葉だ。
ところで、
おれは100均ダイソーをよく覘くのだが、こないだ入ったら、お経の折本が各種置いてあったんだ。
ちょっと見てみると、それぞれ特色があり、じつに興味深い。
臨済宗、曹洞宗、真言宗、天台宗、浄土宗、真宗、日蓮宗、棚にあった全種類を買ってきた。
かなり得した感がするけど、おれだけか。(昔、古本屋で新品の縮刷版真宗聖典を500円で買って、すごく得した気分でウキウキしたのを思い出した)
臨済宗折本を開くと「病何れの所ぞや。病不自信の所にあり」の句も載っている。
白隠禅師の「衆生本来仏なり」で始まり「此の身即ち仏なり」で終わる有名な和賛も。
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(過去記事増補編集再録)