哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

筏のたとえ

 ブッダの教えに(いかだ)のたとえがある。

人格神を奉ずるユダヤ教キリスト教イスラム教等の最大の弱点は、筏を捨てられないことだ。


迷いの川を渡り終えて陸路を行くときになっても、重い筏を後生大事に抱きしめて、不自由な足取りで歩いている。

重い筏とは、もちろん唯一絶対の神のことだ。

ユダヤ教徒キリスト教徒とイスラム教徒は、この筏を背負って殺し合う。


 おれはマザーテレサを偉大な人として尊敬するが、その彼女でさえ、自分の信じる唯一絶対の人格神にたいして筏という認識は最後まで持たなかったとおもう。そこに、愛だけでは克服しにくい問題がある。

イスラム教は「神に息子なんかおるかい」と言っている。キリスト教徒は「それも正しい」とはおもえないだろう。

仏教徒から見ると「つまらんことでいがみ合って」とあきれるが、一神教の人たちはそれで殺し合いまではじめる。「それは違う。愛の教えがあるから…」といかに弁じても、一神教徒達の殺し合いの歴史は覆うべくもない。


https://philosophy.blogmura.com/buddhism/にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ


(過去記事編集再録)