人格神を奉ずるユダヤ教、キリスト教、イスラム教等の最大の弱点は、筏を捨てられないことだ。
迷いの川を渡り終えて陸路を行くときになっても、重い筏を後生大事に抱きしめて、不自由な足取りで歩いている。
重い筏とは、もちろん唯一絶対の神のことだ。
ユダヤ教徒とキリスト教徒とイスラム教徒は、この筏を背負って殺し合う。
おれはマザーテレサを偉大な人として尊敬するが、その彼女でさえ、自分の信じる唯一絶対の人格神にたいして筏という認識は最後まで持たなかったとおもう。そこに、愛だけでは克服しにくい問題がある。
イスラム教は「神に息子なんかおるかい」と言っている。キリスト教徒は「それも正しい」とはおもえないだろう。
仏教徒から見ると「つまらんことでいがみ合って」とあきれるが、一神教の人たちはそれで殺し合いまではじめる。「それは違う。愛の教えがあるから…」といかに弁じても、一神教徒達の殺し合いの歴史は覆うべくもない。
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