哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

絶妙手の代償


 ユダヤ教キリスト教イスラム教等が主張する、人間に話しかけたり命令したりする絶対人格神とは、「存在の意味」を俗耳に入りやすいように対象化してみせたものだ。

神の現存を実感している信仰者が、そのことに気づいていようといまいと、彼・彼女のしていることはそういうことなのだ、とおれは思う。

しかし、これには極めて大きな無理がある。

「存在の意味」は、決して対象化されえない唯一のものだからだ。

その無理のために、絶対人格神宗教においては、不寛容で愚劣な思想的混乱の大パノラマが悲惨に繰り返される。

「真実の神はひとり」という一点で、すべての絶対人格神宗教の主張は一致している。ところが信者達の俗物的習性から、自分の神だけが本物で他のは悪魔だと言いあい、互いにいがみあい、終には殺しあう激甚な副作用が実際に繰り返し生じてきた。
人類の習性が変わらない限り、これは過去の愚行ではない。今は殺し合いに疲れて一服してるだけで、またぞろおっ始めるに違いない。

俗耳を容易にひきつけてきた絶妙手の代償はあまりにも大きい。


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