哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

人々がアートマン=我を否定したがらない理由


 釈尊は、インドでは最高神ヴィシュヌの九番目の化身としてヒンドゥー教の神にされている。

ヒンドゥーの根本教義であるアートマンを明確に否定した釈尊を、どんな手品を使ったら、自分たちの神と同一視できるのか。

釈尊となったヴィシュヌ神は、わざとまちがった法(=仏法)を説いて、国にはびこる悪魔の眷属(=仏教徒)をだまして集め、一網打尽に滅ぼした。という意味の話になっている。


これは、笑うしかない。


アートマンを否定することが、いかにこの世の勢力と相容れないかが分かる。アートマンは極限までしつっこくつきまとう偶像なのだ。

 アートマンを否定すると、自分の死を完全に認めることから逃げられなくなる。

そのため多くの人間が金輪際したがらない。
「あなたは死なない。だいじょうぶ」と言ってくれる宗教しか人は受け入れない。

アートマンが仏教の中にさえ、ゾンビのように復活してくるゆえんである。


大多数の人は、悪い夢にうなされるのは嫌がるが、夢から覚めようとはしない。

この人たちは、良い夢に酔いながら夢の中で死ぬことを選ぶ。










 たとえ良い夢でも、夢を見ている限り、仏法は分からない。


(過去記事編集再録)


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