おれは無邪気な少年だった。
老いや死は言葉としてのみかろうじて知っているだけで、その実際の恐ろしい意味は知らなかった。
そしてもちろん、知らないという事実にも気づいてはいなかった。
中学生のある日、芥川の晩年の作品を読んで、自分の考え方感じ方が我慢できないほど浅はかだと痛感した。
生れて初めて、自分の頭をもっと深みのあるものに変えてくれるよう、真剣に神に祈った。
願いはあっさりとかなえられた。
いつの間にか、おれは以前の無邪気さを失っていた。
引き換えに、わずかばかりのセンスが身についた。
今思えば、信じられないほど愚かな願いを神にしてしまったものだ。
このブログの紹介文に
「存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。
このテーマに興味のある方だけ見てください。」と書いたのは、おれの老婆心だ。
ほんと、気の弱い者は、見ないで出ていってほしい。
見る人がろくにいなくても、おれはなんとも思わない。
自ら望んでこうなったはずのおれが、時には昔日の嘘の世界に戻りたいと思うんだから。
おれはなんという情けない腰抜けだろうと泣きたくなるが、どうしようもない。
(過去記事再録)
https://philosophy.blogmura.com/buddhism/ ← にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ