哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

泣きたくなるが、どうしようもない

おれは無邪気な少年だった。

老いや死は言葉としてのみかろうじて知っているだけで、その実際の恐ろしい意味は知らなかった。
そしてもちろん、知らないという事実にも気づいてはいなかった。

中学生のある日、芥川の晩年の作品を読んで、自分の考え方感じ方が我慢できないほど浅はかだと痛感した。
生れて初めて、自分の頭をもっと深みのあるものに変えてくれるよう、真剣に神に祈った。

願いはあっさりとかなえられた。

いつの間にか、おれは以前の無邪気さを失っていた。
引き換えに、わずかばかりのセンスが身についた。

今思えば、信じられないほど愚かな願いを神にしてしまったものだ。

このブログの古い紹介文に
「存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。
このテーマに興味のある方だけ見てください。」と書いたのは、おれの老婆心だ。
ほんと、気の弱い者は、見ないで出ていってほしい。

見る人がろくにいなくても、おれはなんとも思わない。
自ら望んでこうなったはずのおれが、時には昔日の嘘の世界に戻りたいと思うんだから。
おれはなんという情けない腰抜けだろうと泣きたくなるが、どうしようもない。










(おまけ)

ボビー・ソロ
「ほほにかかる涙」

 

 

 

 

ジグソー。
スカイ・ハイ

 

 

 

 

 

マシュマカーン。
「霧の中の二人」

 

 

(過去記事統合編集再録)