軽く扱われ、出世せず、見向きもされない
空気を読むとか、人心懐柔テクニックとか、煩雑な金勘定とかの能力発揮は、世間で自分が大事に扱われ、職場で出世するためには必須だが、実はどうでもいいことだとおもう。
そういうことにはむしろ、ある程度の無能を装う必要さえある。
すると
世間から軽く扱われ、出世せず、異性に見向きもされない。
人生を真に生きるために、便利な環境だ。
一番いいのは、その種の世間的能力に事実無能に生れつくことだ。
装う必要がない。大愚良寛はそういう人だったとおもう。
ビートたけしが「男の人生の目的の半分は女にもてることだ」と言ってました。もっともな話です。その場合は能力を見せなてはダメです。むしろ小さい能力を大きく装わねばならない。隠そうとしたが大きすぎて隠し切れずににじみ出たという見せ方が上級者でしょう。
この記事はたんなる負け惜しみです。おれは無能に生れついたくちです。だからといって良寛的知性も周利槃特的一途さもありません。チュートハンパナ奴ですW
良寛(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%89%AF%E5%AF%9B
周利槃特
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%A8%E5%88%A9%E6%A7%83%E7%89%B9
(過去記事増補編集再録)
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