哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

退屈厭さに苦痛をのぞむ愚人

われわれ人間は、煩悩が苦痛をもたらすことを知ってからも煩悩を愛することを止めようとはおもわない。煩悩に動かされないでいるとすぐに苦痛より耐え難いと感じる退屈に苛まれるからだ。
こんな人間は解脱できるわけがないと、ブッダは明言している。(←相応部カンダヴァーラヴァッガ 17巻39頁64項)


(以下、ショーペンハウアー「幸福について」2 橋本文夫訳より)

人間の幸福に対する二大敵手が苦痛と退屈である…
この二大敵手のどちらか一方から遠ざかることができればできるほど、それだけまた他方の敵手に近づいている…

困苦欠乏が苦痛を生じ、これに反して安全と余裕とが退屈を生ずる。…
文明の最低段階である流浪の生活が、文明の最高の段階に見られる漫遊観光の普及を通じて再現されている。流浪の生活は困苦のために、漫遊観光は退屈のために生じた。

ショーペンハウアー「幸福について」2 橋本文夫訳)



週末のアウトドアレジャーなどにも、そういう奇妙な再現があると思う。


われわれの実際の現実生活は、煩悩に動かされるのでなければ、退屈で味気ないものである。さりとて煩悩に動かされれば、忽ち苦痛なものになる。
ショーペンハウアー(同)


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