哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

健康

えー、ちょっと事情があって、今日から1週間、東京の弟の家に泊まります。更新は弟のPCを借りてやってます。コメントの返事が帰宅後になるかもしれませんが、悪しからず。

種々の財宝のうちで最も直接的にわれわれを幸福にしてくれるのは、心の朗らかさである。…
陽気な人には常に陽気であるべき原因がある。その原因とは、ほかでもない、彼が陽気だということなのだ。他のどんな財宝にも完全に取って代われるという点で、この長所に匹敵するものはない。…


朗らかさがやって来たときには、どんな場合にでも、門扉を開くがよい。朗らかさが今来ては困るという時はない。

ショーペンハウアー「幸福について」2 橋本文夫訳)


もっと言えば、我慢できる程度のひとときを、意識的に享楽すべきだ。
悔恨と憂慮には一定の時をこれに当てれば十分である。
唯一の現実的なときをそれらのために台なしにしてはならない、とも教えている。



朗らかさにとって富ほど役にたたぬものはなく、健康ほど有益なものはない。…

われわれの幸福の九割まではもっぱら健康に基づいている。…


およそ愚行中の最大の愚行は、何事のためにもせよ、自己の健康を犠牲にすることである。利得のためにせよ、栄達のためにせよ、学問のためにせよ、名声のためにせよ、まして淫蕩や刹那的な享楽のために、健康を犠牲にすることである。むしろ健康よりも一切を軽く見なければならない。

(同)





ショーペンハウアー
「幸福論を書き上げるには、私の本来の哲学が目標としている一段と高い形而上学的・倫理的な立場を全く度外視しなければならなかった」
と緒言で述べている。
(幸福論は単なる処世術。人生とは関係ない)とおれは読んだ。それで人生の問題が解決するということは一切ないからだ。いわゆる幸福論は、損と分かっていることをなるべくするなよ、無駄な苦労はするなよという親切心だ。