哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

架空対談7

現実主義者
しかし、死期がせまった世界有数の大金持ちが、名を隠してふらふらしてたって話が昔あったんですよ。「自分はなぜ死ななきゃならないのか。億万長者になった今、生きていればなんでも思いのままなのに」と悩んだのかもしれない。


仏教者
人生の空しさに憤ったことでしょうね。


司会者
のっけから、かなり難しい話になりましたね。
これからいよいよ人間の死について論じることになると思いますが、そのまえに、人は何のために生きるのかという話を少ししてもらって、それから死についてということでお願いします。


現実主義者
冗談じゃないよ(笑)
そのほうがよっぽど難しいじゃないの。


キリスト者
理由も分からず生きているってことでは、みんなおたがいさまですよね。
その点では親も子もない。先輩も後輩もない。
そんな区別・差別はいっさいないわけですよ。


仏教者
人は何のために生きるかという疑問ほど、その答えがすり替ええられやすく、実際にすり替えられ続けてきた問題は他にないよね。


現実主義者
つまり、さほどに難しい問題なのである、ということですよ(笑)


仏教者
ぼくは、それに直接言葉で答える仕事は自分の手には負えないと諦めており、できることは、人々が正しく答えておらず、常に問題がすり替えられている事実を訴えることくらいで、「余計なことだ」といわれても、ぼくは今のところこれ以外できないんです。


現実主義者
でも普通の人は、そんな話聞きたくないわけですよ。なんで死ぬとか生きるとかなんて話(笑)
そんなもん考えたってどうにもならん、運命だからしょうがない、こう思ってあきらめてるわけで、それは無理ないと思うな。


司会者
しかし、今日はおおいに話してもらわないと困ります(笑)


仏教者
「成るは嫌、思うは成らず」…人生は、ここをうまく抜けなくては始まらんのです。いたずらにあきらめて、うたかたの表象に妥協し、組み伏せられることが人生ではない。


キリスト者
あきらめているというけど、ぼくは逆に、どうして人々はうまい話を知ろうとあくせくし、情けないことしか思いつけないのかと思いますね。


仏教者
それはとてもよく分かります。つまり口では運命だからとか、あきらめたようなことを言ってても、実際はちっともあきらめてなんかいないわけだよね。


現実主義者
そりゃあ、ほんとにすべて運命だと思えたら、それだけで大人物だもの(笑)






(続く)