現実主義者
本当にそう思って生きると、理性と感情は自己として最高度に澄み切ってくる。
世の中の何がつまらなくて、何が大切か、本当のところが明瞭に分かるようになる。
仏教者
それはぼくも、似たような体験がある。
世界がすっかり違ったふうに見えてきますよ。
まるで、初めて見たもののように、すべてが新鮮になりますよね。
キリスト者
それは大事なことです。
なんでも一度「永遠の相」において見つめて直すこと。
その印象を腹に置くこと。
つまり、すべての頭の働きに対して、原点「永遠の相」を置くことです。
現実主義者
…ちょっとこのへんで小休止しませんか。テーマが重いせいか、疲れてきた(笑)
司会者
すみません。みなさん、お疲れでしょうけど、このテーマだけ、もう少し続けてまとめちゃってください。
それから休憩を入れますので。
仏教者
まとめる気はないけど、いますこし続けようか。
人の死ぬ必然を、もっと真剣に考えてもらいたいわけですよ。
あなたもぼくも、あの人もこの人も必ず死ぬ事実についてね。
死において、人の平等性が歴然としているわけです。
たとえば、自分たちを神に選ばれた神国・神民だと信じ、他国の人々を差別しようとする愚行が、歴史において何度となく行われている。
しかし汝も我も、どこの国の人も必ず死に、そのありさまには実になんの区別もない。
身の丈が、われわれの半分、あるいは倍あろうと、肌が白だろうと黒だろうと、そこに区別差別のようはまったくありえないわけです。
現実主義者
むかし、岡林信康の「がいこつの歌」ってのがあった。それを思い出しましたよ。
当時ふざけた調子で歌ってたけど、死について深いことを伝えてたんだよ。
キリスト者
ぼくも聞いた覚えがあるけど…ちょっとさわりを歌ってみてよ。
現実主義者
えーっと、具体的な歌詞までは出てこないので、無理です(笑)
みんな死ぬんだから、仲良くしろよ、と。
そう歌ってた気がする。
ま、うろ覚えなので、この話はこのくらいで。
自分で言い出したのに、すみません。
[参照]
岡林信康「がいこつの唄」 (Live)
⇒https://rdsig.yahoo.co.jp/blog/article/titlelink/RV=1/RU=aHR0cHM6Ly9ibG9ncy55YWhvby5jby5qcC9jeXFuaDk1Ny81NjgyNDc2Ni5odG1s
現実主義者
ところで、あなた達はなぜ死を恐れるのかな。
だれも死を経験していないわけでしょ。
ぼくがいるときは死はいない。
死がいるときはぼくはいない。
だから、心配ないって説もある(笑)
仏教者
そりゃだめだ。
そんな生悟りに落ちついていると、さきになってあわてても間に合わないぞ(笑)
体験していない死を、わたしがこうまで恐れるのは、そも何のためかをよく考えないと。
キリスト者
そうですね。こいつだけは理屈で納得したって、どうにもならないんだから。
もちろん、ぼくだって死ぬのは怖いよ。
いよいよ死ぬというときになったら、死ぬことが一番怖くなるかもしれない。
それは、そのときになってみないと分からない。
しかし、今のぼくは死ぬことよりもっと恐れていることがある。
それは、不幸になること、損をすること、笑いものにおなること、ひとりぼっちになることを必要以上に恐れすぎること……これらは死への恐怖が根底にあって出てくるものだけど、そのために本当には生きられなくなってしまうことだ。
さらに、その本当には生きていない自分をチェックできなくなってしまうんじゃないかという恐れ。生きていないのに、生きているような気分に自分をだましてしまうことに対する恐れのほうが、今のぼくには強いんだ。
仏教者
戦争で生き残った人たちが言うでしょう。「あんな思いは二度とごめんだ。もう、だれにもあんな思いはさせたくない。平和な今はありがたい。平和を大切にしたい。戦争でなくなった人達は本当にかわいそうだ。こんな良い時代も知らずに」と。
しかし、こんなところで、彼らの感慨が済んでしまうのは、どうしてだろうと思うね。
自分をだましているというほどじゃないんだけど。
現実主義者
その人たちがいってることは、まともでしょう。
キリスト者
それは、まともなんだけど、やはり根無し草的でしょう。
仏教者
ええ、人間の実存的把握のまたとない機会でさえ、ものにしなかったともいえる。
キリスト者
そうですね。
べつに戦争だけが唯一の機会ではない。
親兄弟との死別の機会にも、通俗的な感慨だけで済んでしまう。
その奥に湧きあがる、なにやら自分を根底から促すものを、じゃまものあつかいにしてしまう。
なぜ、彼らは死を忘れていられるんでしょう。あるいは忘れているふりを続けられるんでしょうか。
仏教者
ふだん死のことを忘れていられるだけの忙しい生活が、彼らにはあるからでしょう。
生活の煩瑣な事務的事柄の中で、その覚醒の芽をつんでしまうシステムができあがっているともいえる。
(続く)
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