哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

架空鼎談2

キリスト者
しかし、人は昔いじめられた仕返しをしたいという欲だけで、そこまで愚かにならないと思うな。


現実主義者
もちろん多くの人達にとって当面の問題は、経済的悪条件からくる生存の不安が精神を萎縮させていることでしょう。
現代日本のように、じっさいに飢え死にするような状況がほぼなくなっても、最悪の場合ありうるというだけで、あるいは妄想でさえ十分強力な影響を人に与えますよ。
大人になって、経済的不安がなくなった人達の精神にも、昔の不安はとりついているしね。


キリスト者
なんにでも興味を持つけど、その興味が全部自分の外側にしか向かわない人っているでしょう。
そんな人の多くは、その内部に経済的不安があるんじゃないか。
それが精神を萎縮させて、人生が第二義に堕している。
その妄想的不安を消すために、無理やりでっち上げむなしく飾り立てた仕事、言葉、交通があまりにも多くあふれている。


仏教者
テレビの番組を見てれば、それはすぐ分かる。
たいがいは、自分でもどうだっていいのにと思っていることを、わざとらしく、いわくありげにあつかっている。
しゃべる間だけ、無理にでもその対象に興味をもとうと必死になる。関心を持っているふりをしている。


現実主義者
仕事ですからね。みな、生活のため、女房子供を食わせるためにがんばっているんですよ。


キリスト者
みんな、その、生活のためという「大義」をうわごとのようにくりかえし思っている。


仏教者
そうやって、世の中全体はやたらに肥大したぶよぶよの腐った脂肪の塊のようなものになってしまう。


キリスト者
その塊のなかで、みながこう言う。「おれは精一杯やっている。誰からも文句をいわれる筋合いはない」


現実主義者
そのように言うこと自体は、別にまちがってないでしょう。ぼくだってそう言いますよ。


キリスト者
問題は、その生活が第二義に堕している事実に本人が気づいていないことです。
そういう人は、ある程度の経済的余裕と世間的な評判の良さに支えられていれば、内面生活も落ち着き、満たされてしまう。


仏教者
それを逆にいうと、第二義に堕している人生の悩みは、金さえあればたいてい解決する。そういう悩みしか感じなくなってしまう。
一等宝くじが当たればなくなる悩み(笑)


現実主義者
だけど、やがて貧乏人が自分の命を10年分金持ちに渡して金をもらう時代がSFじゃなく来ますよ。
科学技術がそれを、やがて可能にするのは確実だと思う。
そうなれば、死の悩みさえ金で解決できる時代が…


キリスト者
ぜんぜんそうは思いません。人間の百年の寿命が千年になったところで、事態は少しも変わりはしない。



現実主義者
しかし、死期がせまった世界有数の大金持ちが、名を隠してふらふらしてたって話が昔あったんですよ。「自分はなぜ死ななきゃならないのか。億万長者になった今、生きていればなんでも思いのままなのに」と悩んだのかもしれない。


仏教者
人生の空しさに憤ったことでしょうね。


司会者
のっけから、かなり難しい話になりましたね。
これからいよいよ人間の死について論じることになると思いますが、そのまえに、人は何のために生きるのかという話を少ししてもらって、それから死についてということでお願いします。


現実主義者
冗談じゃないよ(笑)
そのほうがよっぽど難しいじゃないの。


キリスト者
理由も分からず生きているってことでは、みんなおたがいさまですよね。
その点では親も子もない。先輩も後輩もない。
そんな区別・差別はいっさいないわけですよ。


仏教者
人は何のために生きるかという疑問ほど、その答えがすり替ええられやすく、実際にすり替えられ続けてきた問題は他にないよね。


現実主義者
つまり、さほどに難しい問題なのである、ということですよ(笑)


仏教者
ぼくは、それに直接言葉で答える仕事は自分の手には負えないと諦めており、できることは、人々が正しく答えておらず、常に問題がすり替えられている事実を訴えることくらいで、「余計なことだ」といわれても、ぼくは今のところこれ以外できないんです。


現実主義者
でも普通の人は、そんな話聞きたくないわけですよ。なんで死ぬとか生きるとかなんて話(笑)
そんなもん考えたってどうにもならん、運命だからしょうがない、こう思ってあきらめてるわけで、それは無理ないと思うな。


司会者
しかし、今日はおおいに話してもらわないと困ります(笑)


仏教者
「成るは嫌、思うは成らず」…人生は、ここをうまく抜けなくては始まらんのです。いたずらにあきらめて、うたかたの表象に妥協し、組み伏せられることが人生ではない。


キリスト者
あきらめているというけど、ぼくは逆に、どうして人々はうまい話を知ろうとあくせくし、情けないことしか思いつけないのかと思いますね。


仏教者
それはとてもよく分かります。つまり口では運命だからとか、あきらめたようなことを言ってても、実際はちっともあきらめてなんかいないわけだよね。


現実主義者
そりゃあ、ほんとにすべて運命だと思えたら、それだけで大人物だもの(笑)



仏教者
なにか、自分に欠陥があると決めこんで、しかも他人に直してもらおうと、あちこち持ち歩いてしまう。
そのいっぽうで、世間の低劣な情欲を自分の上に現して、いたずらに宿業を重ねている。


キリスト者
結論から先に言っちゃうとね、人間は神を、神の愛を賛美するために生きているんです。
おそらく、人間の全霊を込めた賛美によってのみ神の御心は十分に満足されるのです。
そして、人間の本当に色あせることのない、永続する幸福とは、このこと以外にはないのです。
(にたにた笑っている現実主義者に向かって、語気あらく)
あなた、なにが可笑しいんですかッ!
このことを、人類の何パーセントが知っているかと思うと、ぼくは情けなくなる。


現実主義者
人生は、生まれる。わけも分からずジタバタする。死ぬ。しかも、なにも分からずじまいで。
結局これだけのことだ。
えらそうに、自分だけ分かったようなことを言う奴は、みなうそつき、ほら吹きに決まっている。


仏教者
こういうことはいえますね。
生き物は、なぜ生きるのかということをいちいち考えなくても、生きられるようにできている。
この点では、人間も決して例外じゃない。
「なぜ~なのか」は化け物であり、疫病神だと、まずは思える。


キリスト者
つまり、人間も動物のように生きようと思えば生きられるということでしょう。
なぜ、何のためになんてめんどくさいことを考えなきゃ樂ですからね。


仏教者
そうね。
事実、「なぜ~なのか」という化け物と一生、少なくとも本当の形ではつきあわずに済んでいる人間の方が、この世には多いです。


現実主義者
圧倒的多数を示しているのはまちがいない(笑)


キリスト者
つまり、生きるだけなら「なぜ」はいらない。


仏教者
だから、ある人間が、このやっかいきわまりない「なぜ」を、それにもかかわらず、決して捨てないでいるのは、普通の意味で「生きるために必要」なのではないはずだ。





(続く)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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