哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

ブッダの十不善十善と不可思議な聖世界

 

聖者は聖者を知るーー大ヴァッチャ経(中部73)を読む|スマナサーラ長老のパーリ経典解説 - YouTube

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十不善
(身業3)
殺生
偸盗
邪淫
(口業4)
妄語
両舌
悪口
綺語
(意業3)
異常欲
異常怒り
邪見

これら十不善から離れることが十善
不殺生
不偸盗
不邪淫
…等

たとえば

異常欲から離れることは
小欲であり無欲ではない。

無欲を理想とするが、
無欲は解脱しない限り不可能。

同様に邪見から離れることは、

正見たらんとする努力だ。

十善のどれ一つとっても

完璧に守ることは極めて難しい。

おれは守りたいけど、守らなきゃいけないとおもってるけど、守れない。

だからといって、「全部やーめた!」とはおもわない。

今の自分にやれる範囲で、少しだけでもやればいい。

…棺桶に片足突っ込んでる歳で、まだこの程度のぬるいことしかできてないのは情けないとおもう。
しかしそれでも、やらないよりはずっといい。自分のためにやる。それしかないんだ。

 

ヒルティ幸福論第二部「キリスト教序説」草間平作・大和邦太郎訳)

より引用させていただきます。

仏教徒が十善を守ることの意味を考えるとき、このキリスト教のことばは新鮮に響く。

 

…祝福は、とりわけ次のような点にあらわれる。すなわち、一切の事情がみたところひとりでにそう成っていくように見えながら、常にまことの善が行われ、内的生活が促進され、外的生活が保護され、危険がさけられる…邪路に踏みこんだり悪い行ないをしようとしても決してうまくいかないことである。
悪い行いが成功するということは、むしろ悪人に下される通常の罰であって、彼らはその成功のためにいよいよ頑なになり、回心を妨げられる
……
「もし人が、わたしのおきてを行うならば、これによって生きるであろう」
レビ記18-5)

(引用終)

 

レビ記18-5は新共同訳では次のようになってる。

わたしの掟と法とを守りなさい。

これらを行う人はそれによって命を得ることができる

 

自分で決めたどれか一つだけまず守るでもいい。
不妄語…たとえ戯れにでも嘘を言ってはならないと教えられている。だからエイプリルフールもダメ。
完全に守るのは至難だ。

 

おれの場合は、

不偸盗「与えられていないものを取らない」

一つだけを守ってる。
簡単だとおもう人はやってみて。意外に難しいから。

 

「与えられていないものを取らない」ということについて スマナサーラ長老| 2006.6.17

 

 

さて、

この大ヴァッチャ経だが、この後物語が意外な展開をする。
これについてスマナサーラ長老の提唱は、他では聞くことができない貴重な内容で、不可思議なのに心が洗われるようだ。