哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

難しいが正念相続するしかない

 ある日の記録。
7時起床、ヴィパッサナー本気スタート。7時半、厚切りパンとコーヒーの朝食。早くもヴィッパッサナーがあとかたなく消失してることに気付き失望。めげずリスタート。ネットで映画観る。ヴィパッサナーがあとかたなく消失してるTwo。ダメだ難しい、ダメじゃない、リスタートTwo。12時、ヴィパッサナー気づいたらずっと無かった忘れてたすぐ忘れる。リスタートThree。洗濯。朝観た映画の感想でブログ記事書く。ヴィパッサナーまた忘れリスタートFour。1週間くらい前の回覧板を置き忘れていたことに気付く。すぐ隣家の玄関ケースに入れに行く。焦った。サティ一瞬でとんでた、リスタートFive。冷凍おにぎり2個はチン、冷凍トンカツはトースターで15分温め浮いた油をペーパーで除いてから食べる。リスタートSix。洗濯物外に干す。リスタートSeven。17時から村の総会18時まで。リスタートEight。21時半リスタートNine。ダメだ、あっという間に忘れる。リスタートTen。寝落ち。0時半目覚める。リスタート11。体重測定。わ!増えてると思った瞬間サティはとぶ。リスタート12。
2013年の今日の日記に「突然の失明も可能性がある。危機感。ヴィパッサナー真剣にやらないとダメだ」と書いている。いつまで実行先延ばしするのか。愚かに怠け続けて、真っ赤に焼けた鉄丸を飲む時に「これは苦しい!!」と愚かに叫ぶのか。
ブログ村トラコミュ更新。見逃した「ワイドナショー」DLして観る。3時、あっさり忘れリスタート13。今夜も眠れないで朝になるのか。5時、ゆず大根残り全部刻んで冷凍ご飯小でチャーハン作り食べる。生卵ないがパラパラに仕上がった。しかしリスタート14。どうしたらキープできるのか。半、リスタート15。6時リスタート16。7時リスタート17。ずっとこんな調子。ていたらく。正念相続難しい。


 ブッダの教えを以下に引用します(仏教聖典 阿含経 仏伝2、1-13)

比丘等(びくら)よ、比丘は正念(しょうねん)にして自覚してあるべし。

比丘が自覚してあるとは何ぞや。
比丘等よ、比丘が()づるにも()るにも自覚を()してあり、前を見るにも後ろを見るにも自覚を為してあり、身を屈するにも伸ばすにも自覚を為してあり、衣鉢(えはつ)を取るにも、自覚を為してあり、食し、飲み、()み、(あぢは)ふにも自覚を為してあり、行き、(とどま)り、(すは)り、眠り、()め、語り、黙してあるにも自覚を為してあり。
これ比丘等よ、比丘が自覚してあるなり。比丘等よ、比丘は正念にして自覚してあるべし。
(以上)


 これって、脳を一瞬たりとも遊ばせるなってことだ。怠けさせるなってことだ。

われわれは、あれこれ妄想している時、脳が「働いている」と勘違いしている。

そうではない。妄想している時、脳は遊んでいるのだ。怠けているのだ。

 不断の自覚。目覚めているかぎり、常に「気づき」を失わないこと。
これが釈尊の教えの中心にある。





正念相続(正念にある)についても説かれています。

比丘等よ、比丘が正念にあるとは何ぞや。
ここに、比丘等よ、比丘は身に就きて身を観察し、熱心に自覚し、正念ありて世俗の貧欲と憂悲とを調伏して住す。受に就きて…乃至…心に就きて…乃至…法に就きて法を観察し、熱心に自覚し、正念ありて世俗の貧欲と憂悲とを調伏して住す。
これ比丘等よ、比丘が正念にてあるなり。

(以上引用終)






正念とはサティのこと。

正念相続とはヴィパッサナー実践のことだ。



サティ
「瞬間の現在(今・ここ)」に気づくこと。
ヴィパッサナー実践
「瞬間の現在」に気づき続けること

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(過去記事増補統合編集再録)