悟っているなら、修行は不要か?
もしこの身このままで悟っているなら、修行は不要である。
この主張は、どこに誤りがあるか。
つらい修行をすることによって、はじめて楽しい悟りが得られるという凡夫の思い込みがぜんぜん捨てられていない点にある。
「悟っているなら、修行は不要」は、この愚かな思い込みを、たんに裏返しただけのものだ。
過去記事「修証一如」http://blogs.yahoo.co.jp/cyqnh957/22191737.html参照
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