釈尊の筏を、河を渡る前に捨ててしまってる人達
釈尊の獅子吼「筏のたとえ」は、河を無事渡りおえた人は筏を捨てて身軽に行きなさいという教えだ。
では河を渡る前に筏を捨てるとどうなるか。
当然だが、その人はいつまでたっても河を渡れない。
そんなマヌケがこの世にいるのか…けっこういっぱいいるんだな、これが。
学者タイプに多いね。
本人に河を渡る覚悟がなければ、釈尊から与えられた筏は邪魔になり、渡らずに捨てても面目が立つ理由を、なんかかんか探すようになる。
懸命に屁理屈こねて「世法即仏法」とか「このままでいい」とか『証明』する人。
→関連過去記事「メモ」http://blogs.yahoo.co.jp/cyqnh957/53375557.html
人はがんらい、河を渡る(=修行する)気迫に欠けているから、この弊に気づいてもなかなか改めることができない。
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