維摩経
「低劣な衆生を次第に成熟させていくために、如来は、この仏国土にこんなに多くの欠陥や不完全さがあるように見せるのである」
(中央公論社「世界の名著2」 長尾雅人訳)
これは維摩経の主張である。
昔は、こういう認識を深遠なすばらしいものと思っていたが、今は大嫌いになった。
釈尊がこんなことを言うわけがないと、おれは思う。
釈尊の病気を説明して
「(人間と同様な病気などの)低級な行為を示すことによって、人々に訓練を与えようとする」(維摩経第3章)
などと馬鹿げきったことを言っている。
人間釈尊をなきものにして、絶対神にまつりあげ、稀有の仏法を、キリスト教の出来損ないのような、愚劣きわまる凡庸な信仰に変えようとする。
「一切衆生病むを以ての故に、我れ病む」
は維摩経の主張する崇高な菩薩の精神で、多くの人が感動するが、これも冷静に考えてみると、なんか変じゃないか。
「野獣の青春」中佳作。
当時としては斬新だったんだろうが、今観ると滑稽さが目立つ。