哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

サティがないと起きる、生成AIに対する盲目的恐怖

 

ブッダは、何千年も前に

これ以上望めない明晰判明さで

 

無我(自我など無い)

 

を説いてる。

 

「AI はやがて自我を持ってしまうのか?」という世人の不安は、人だけに自我があり、それこそが、人が人たるゆえんであるという世間の頑固な妄想から出てる。

 

自我などハナから存在しないから、その存在してない自我を、AI が持つことなどできるわけない。

ただ愚かな人間が、自分達の妄想をAI に投影し、AI にも自我があるとみなすにすぎない。そうしておいて、それを恐れてる。自作自演の狂愚行だ。

 

昨今話題の生成AI「チャットGPT」は、これっぽっちもものを考えてないのだ。ある言葉(例えば「古池や」)の次に、何億何兆のビッグデータをサーチして、確率的に一番もっともらしい言葉(「蛙飛びこむ」)を拾って、並べる。基本的にこの単純作業を繰り返すだけで「古池や蛙飛びこむ水の音」全体の意味など一切考えてない。

これを「AI がついに自分で勝手に考えて答えるようになったぁ!」と、世人が妄想してるに過ぎない。ここでも自作自演の狂愚行だ。

 

これを逆に見れば、はからずもAI 発展の副産物として、世人の「自我」や「思考」の正体が、もともとこの程度のものだというお粗末な事実が、露わになったといえる。

 

しかし世間はこれからも傲慢に、自分たちのお粗末は棚に上げて、AI に自分たちの苦しみの基である捏造プログラムをインスコし、妄想を爆増させ、人類滅亡の日まで、加速度的に下達してくだろう。

 

 

チャットGPTの知りかた

人間の言葉の知りかた

人間の死の知りかた

 

「古池や蛙飛びこむ水の音」レベルを知らない

知ろうともしないが「知ってる」と言う

知ってるふりでそつなくふるまえるので

知る必要を感ぜず「知ってる」と自認する

 

脳は死を理解できなくとも

理解してるようにそつなくふるまう

「古池や」レベルを理解せずとも

理解してるようにそつなくふるまうのと

まったく同じやりかたで。

 

 

死の知りかた

言葉の知りかた

チャットGPTの知りかた

これらは皆まったく同じ

これらは知ってるうちに入らない

サティがないからだ

 

この「サティがない、知ってるうちに入らない」知りかたを、空海は「衆生自秘」といってる。

この「衆生自秘」に関する過去記事を以下に引用します。

日常人は、

自分たちの本音を

決して知りたがらない。

 

絶対に知りたがらず、しかも実際に知らないことによってのみ、

日常人はまさに、現にあるような日常人でいられるからだ。

 

葬式で、遺影に向かって

「私も遠からずそっちに行くので、待っててください」

などと普通に言う。

 

一方では、口先だけで

人は必ず死にます。

そんなの常識。

と、

自他互いに

大嘘をつき合う。

 

おれがこう言うと、相手は諭すように

「いやそれ逆だよ。葬式のほうが口先だけのタテマエだよ。人間が必ず死ぬ事実くらい、小学生でも知ってる。こっちが本音に決まってるじゃないか」と笑う。

 

脳は死を理解できない

という事実に気づいてないのだ。

 

 

 言語は、日常人の日常人による日常を生きる自分たちのための道具だ。

この日常人専用道具の構造を分析研究すれば、日常人の本音が明らかになる。

なぜなら、

 

いまだ知らないはずのことを、

前もって絶対知りたくないとおもう

 

こんな放れ技を可能にするには、

無意識の本音が裏でしっかり働いてる必要がある。

 

これは、

生きるための必要から

善悪以前に割り出された、

止むに止まれぬ命がけの大嘘だ。

 

日常人は、そういう意味で、例外なく

骨の髄からの本能的嘘つきだ。

日常人は、ほんとのことだけは絶対言わない。

そのために、ほんとのこと以外は何でも言う。

 

 

 

 

その本音は、問わず語りに

日常言語のほころびとして現れてる。

 

知らないようで知ってる。

知ってるようで知らない。

 

これが、日常人における必然的実相で、

 

…自分が何を欲しているか知らないひたすらに生きんとする欲のエネルギーは、苦を苦と知りながら、苦に夢中になる。

 

「苦ですから、捨てなさいよ」

 

と教えても

 

「知ってるわ、それくらい。

人間なんて幻想なしで生きてけないんだよ」

 

と言われてしまう。

 

知ることが何の役にも立ってない。

のみならず、

知って、逆にもっと強くしがみつく。

 

苦を厭いながら苦を貪るので、

自業自得で、苦しみ続けて死にます。

それでもいっこうに懲りずに、

みんなこの生き方を繰り返す。

あなた、葬式に何度も出てますよね。

周りの残酷な結果を日々見て知ってるのに、

決して改めない。

 

とうてい単純な「無知」じゃない。

 

大衆は、自作自演(=自縄自縛)で、このような奇妙な手品を常にして、自分で自分に仇をなし真実を覆い隠している。
 
 

この奇妙な手品は仏教用語

衆生自秘(衆生不思議)

といわれてるものだ。

 

衆生自秘
衆生は無明妄想を以て本性の真覚を覆蔵するが故に衆生自秘と曰う
空海『弁顕密二教論』)

 

 人間はいったいなんのために、こんな自滅行為を、し続けるのか?……
……無明のなせる業としかいいようがない。

 

 

この人間の自滅行為……無明のなせる愚かな業は、現在まず「犯罪者がOpenAIを悪用して起こす詐欺」という最低の形で現れてる。

とりあえず皆さん、この新手のAI詐欺に引っかからないよう、くれぐれも用心してください。

 

今後起きる人間の業は「AIに対する」盲目的恐怖⇒ヒステリックな拒否反応⇒破壊的攻撃になるかもしれない。もちろん、それは全く解決の道ではない。

 

この問題の根治的解決は、サティとヴィパッサナー実践以外にないと信ずる。

 

サティ
「瞬間の現在(今・ここ)」に気づくこと。

ヴィパッサナー実践
「瞬間の現在」に気づき続けること

 

 

 

(過去記事増補編集再録)