哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

希望はドゥッカ(苦)の別名だ。

希望あるところに苦しみ(dukkha)がある #shorts #スマナサーラ長老 #初期仏教 #jtba - YouTube

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希望があったら、そこにドゥッカ(苦)がある。

 

大多数の人々はこの、世界最大の不都合な真実を、心の底から忌み嫌ってて、絶対に受け入れまいと固く決心してる。

つまり、きりない苦しみを層一層、味わいたい人がものすごく多いってこと。

 

その人たちは、大船に乗ったつもりでいなさい。

確実に望み通りになります。

それは、いとも簡単に、誰にも叶う望みだから。

 

 

少数派の、それはもう嫌だよという人は、

ブッダの教えを学びましょう。

そういう人だけが、学べます。

 

 

死ぬ日まで、

ずっと面白おかしく生きられても、

そうでなくても、

なにほどの違いがあるというのか。

 

大多数の人々は、

そこに天地の差を感じているのだが、

それは気の迷いだ。

 

泣いて暮らしても一生。

笑って暮らしても一生。

同じ一生なら笑って暮らそう。

とみんながいう。


それはいい。


おれだってそうしてる。


だけどそれは、人生とは関係ない。
たんなる処世術に過ぎない。
処世術は世渡りのテクニックであって、

人生とはなんの関係もないことだ。

 

人生の核心は

世間の幸不幸と関係ない

という直覚がないと

仏法は分からないとおもう。