哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

初潮前の少女 存在問題不感

宗教は、根本的に存在問題である。
存在問題というものに、人間は逃れようなく直面している。


たとえ話をひとつ。
生理の始まらない少女が
「周りの女たちが生理用品を使っているが、あれは間違っている。生理用品など必要ないことに、どういうわけで気づかないのか。私は生理用品が完全にいらないことを知っている。私には事実必要ないのだ。従って、生理用品などこの社会からなくしてしまうべきである」
と真顔で主張したら、みんなその小娘の幼稚さに噴き出すだろう。
ただし、その少女と頃合いのレベルの方々がいれば、やはり真顔で誠に賛成だと思し召すだろう。
宗教について、類同の感想を抱いている人は多い。
「私は宗教など必要ないことを知っている。私には実際必要ないのだ。ところが周りの連中は、どういうわけかそれに気づかない。ばかなやつらだ」と。

「存在問題への気付き」がいまだ始まっていない人に、宗教の事はてんからわからないのだ。
しかし、多くの人は手遅れになるまで気づこうとしない。

さあ、いよいよ死ぬ、というその時になって気づいても間に合わない。


たとえついでにもうひとつ。
自動車で、ある目的地に向かう。これは人生のたとえ。
ガソリンが残り僅かだ。走行抵抗はできるだけ軽減させる必要がある。
走行抵抗…これが実にいろいろある。つまらない人との論争など。
そのほか、摩擦抵抗…自己認識において勇気のないこと。
これは自分の内面の課題だから、なんとでもすることができる。