愛欲の林から出ていながら、また愛欲の林に身をゆだね、
愛欲の林から
その人を見よ!
束縛から脱しているのに、また束縛に向って走る。
(引用終)
まあ、人間も火の中に飛び込んでく虫とたいして変わらんですね。
そうなるようにできてんでしょうねえ、遺伝子レベルで。
だから頭で分かっても身体がゆうこときかんと。
そのうち頭のほうが根負けして、欲望を賞賛し、身体の下僕になり下がるパターン、多いですね。
「分かっちゃいるけどやめられない」じゃ、
やっぱどうにもならんね。
じゃあどうするか。対策。
(同283)より引用します。
一つの樹を
(煩悩の)林を伐れ。
危険は林から生じる。
(煩悩の)林とその
林(煩悩)から脱れた者となれ。…
(引用終)
各個撃破は不経済で結局徒労に帰すこと多し。
タイムリミットでアウトになるからね。
人類のほんの一部分が遺伝子のコントロールに逆らってでも頑張るのは、
絶対ごまかせない「寿命」というタイムリミットの後押しがあるからでしょう。
このありがたい後押しに、ブッダは感謝を表し聖なる苦しみの真理(苦聖諦)と呼びました。
嗚呼それなのに
「自分は死んでも死なないんだ」という不可能な幻想にしがみついて逃げまわってる奴らは……
しばらく放っとくしかない。まず自分。
臭いものは元から絶たなきゃダメってこと。
やっぱりヴィパッサナー実践やるしかないってこと。
※ さはさりながら、一気にいけなくて長く停滞するくらいなら、あえて各個撃破で突破口を開く
別解脱
と呼ばれるやり方ももちろんありです。
戒律を一つ守れば、その分だけは確実に解脱する。これをブロックのように積み重ねて解脱全体を完成させる道。
別解脱は、もともとひとつのものを、わざわざブロックに分ける。
全体のままでは手が付け難くても、分割すれば与し易くなる。
これはやがて西洋科学の手法に通じるものです。
しかし欠点もあります。
一体不可分のものを切り分けた歪みで、積み上げたブロックが途中で崩れるロスが生じがち。
三歩進んで二歩下がれば上手くいってるほうで、どうしてもタイムリミットが気になってきます。
東洋的精神は、全体そのまま一挙に把捉することを好みます。
頓悟漸悟の対立で常に頓悟派が優勢なのはそのためでしょう。
それぞれに強みと弱みがあります。
結局どちらかひとつ選ぶというよりは、車の両輪のように互いに補いあってる関係かもしれません。
※ヴィパッサナー実践
http://www.j-theravada.net/pali/key-vipassana.html
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(過去記事増補編集再録)