哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

無常観門と罪悪感門


 宗教に入る門は、大きく別けて二つあると思う。

無常観門と罪悪感門である。

おれは無常観を深める努力によって仏法に親しくなっていく生まれつきらしい。

おれがもし無理に自己の罪悪意識を深めようと努力し、それによって宗教的に深まろうとすれば必ず偽善に落ち込んでしまうだろう。

無常観門の道には、理性だけでなく感情も大いに働いている。
ただ、最終的に理性が感情を指導する姿である。
あえて例をあげれば、根本仏教がこれにあたる。禅宗もそうである。

罪悪感門の道は、その逆になると思う。
浄土系仏教がこれにあたる。キリスト教等の一神教もそうである。

 これはもちろん、そういうかなりはっきりした傾向がみられるだけで、現実には無常観に襲われてキリスト教に入信した者や、罪悪感の深まりから禅門に入った者などもいる。つまり無常観だけ、罪悪感だけで成立する宗教は存在しない。


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(過去記事増補編集再録)