「あなたはパウロに現れたりしたのに、どうして、私に現れないのか」
と父がけんかするみたいに言っている(祈っている)のを、母はなんどか聞いたそうだ。
(田中小実昌『アメン父』)
気持ちは痛いほど分かる。
本気で信仰に志したら、誰でもこの不満を抱かざるを得ないだろう。
怒られてもいいから、神の声を自分の耳で直接聞きたいのだ。
ヨブの必死の訴えも、要はそれだけだったとおれはおもう。
そうでなければ、神のあんな理不尽な返答で得心できるわけがないのだ。
ヨブについてはhttp://www2.plala.or.jp/Arakawa/job_index.htm参照
(過去記事再録)
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