哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

架空対談23

現実主義者
歌の文句じゃないけど「後どのくらい傷つけば大人になれるのか。だけどわたしは耐えてみせる」なんて言います(笑)


キリスト者
若い女の向上のイメージがそういうものなら、努力はすべて裏目に出てしまうかもしれない。


仏教者
ダメな男もこの種の姿勢で人生に向かってるもんですよ。凝り固まっちゃってる(笑)


キリスト者
でも、女のほうがひどい。結局、彼女らの多くは人並みに人生を送ることさえかなえば、まずまずの幸福であると考えている。そうなるために人並みの努力はしている。よほど運の悪い生まれつきでない限り彼女のささやかな望みはかなえられる。


現実主義者
そうですね。女の不安は、おおむね、ひょっとして自分の運が特別悪いんじゃないかという気がかりだけですよ。


キリスト者
まあ、多くは努力のかいあって同年代の女が結婚する頃には自分も適当な相手が見つかって家庭をもつ。やがて二世の誕生等、古今東西、あの有名な歌「おさななじみ」に表現されている、男女が繰り返すいとなみが続けられるんですよ。このわけの分からぬ反復運動は、空中のすべての鳥たちによって、水中のすべての魚たちによって、地上の大小もろもろの動物と虫と植物のすべてにおいて繰り返し続けられていることでもある。


現実主義者
あんたの言おうとしていることが、どうも僕にはあまりよく飲み込めないんですが(笑)


キリスト者
つまり、感覚神経の幸福に翻弄されているうちに、タイムアウトになりその幸福な女と男は煙のように消えてしまい、残ったのは一人あるいは数人の子供だというわけです。それは、ふりだしに戻された僕なんです。あるいは彼女でもある。
こういうことが切りなく繰り返されているのが、この現実の世の有り様だともいえる。
そうだとすると、これは恐ろしいようなことだと思えてくるんです。


現実主義者
うーん。


キリスト者
…これを言うと伝統教義に反することになるんだけど、じつは僕は、女は神の手じゃないかとまえから思ってるんだ。


現実主義者
神の手ですか(笑)


キリスト者
イブはもともと神の指示によってアダムをそそのかして禁断の木の実に手を出させたんじゃないのかな。だとすれば、楽園から追放されているのはアダムだけであって、イブはひきつづき神の手としてアダムにくっついてきている。


仏教者
それは面白い発想だね(笑)
たしかに女は神の前でべつに罪をもっていない感じがある。女は男よりはるかに無意識に支配され生きていき死んでいくものですからね。そういうものに対して、神は男に対するときの峻厳な姿勢で臨むことはないはずだ。それどころか、あなたが言うように、初めから神の手の一部分であるふしさえ見える。


現実主義者
なんだか女が憎らしくなってきた(笑)


仏教者
女はか弱くて繊細で傷つきやすく、三界に家なきはかない存在だというけど、これは見せかけだけだしね(笑)



(続く)

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それほど傑作という内容じゃないのだが、観だすと続きが観てみたくなり止められなくなる。「24」のときと同じパターンだ。