かれをわれは〈御者〉とよぶ
走る車をおさえるようにむらむらと起る怒りをおさえる人──かれをわれは〈御者〉とよぶ。
他の人はただ手綱を手にしているだけである。
(〈御者〉とよぶにはふさわしくない。)
(ブッダの真理のことば ダンマパダ222 中村 元訳)
怒るべきときに怒らない人間は意気地なしだ、という世間の常識は正しくない。
他人が怒ったのを知って、それについて自ら静かにしているならば、その人は、自分と他人と両者のためになることを行っているのである。
自分と他人と両者のためになることを行っている人を、「弱い奴だ」と愚人は考える。──ことわりを省察することもなく。
集会の中でも、また相互にも、怒ってことばを発してはならない。
怒りに襲われた人は、自分の利益をさとらないのである。
怒った人に対して怒り返す人は、悪をなすことになるのである。
怒った人に対して怒らないならば、勝ち難い戦にも勝つことになるであろう。
怒らないことによって怒りにうち勝て。
善いことによって悪いことにうち勝て。
わかち合うことによって物惜しみにうち勝て。
真実によって虚言にうち勝て。
(ブッダの感興のことば第20章11,12,15,18,19)