哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

松岡正剛


いつも読ませてもらっているnietzsche_rimbaudさんのブログ
「英文ダウジング翻訳のメモ」http://blogs.yahoo.co.jp/nietzsche_rimbaud/42866934.html
ショーペンハウアーに関する記事が紹介されている。


松岡正剛 千夜千冊 遊蕩篇』のサイト。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1164.html

ショーペンハウアー 意志と表象としての世界(I・II・III)西尾幹二訳」に関する松岡正剛氏の文章で、最初から最後まですばらしいが、特に感激したところを一箇所だけ引用する。(哲学に興味のない人には、なにを感激することがあるんだと思われるかもしれないが…)


ペシミストは世間を厭っているのではなく、こんなものは最悪だと突き離せているだけなのだ。いや、世間がくだらないというのではない。世界はそういうくだらない世間しかつくれないと見切ったのだ。
 ブッダの「一切皆苦主義」とは、このことだ。それゆえペシミストブッダがまさにそうであるけれど、世界の再生や心の安寧は「苦しみ」を直視できないところからはおこらないと洞察したわけだった。
 ショーペンハウアーも、そうだった。しだいに本来のペシミズムの只中において世界を認識し、そこにありうるのは「解脱」の可能性でしかないだろうと見たのであった。」



我が意を得たりと思い、うれしくなった。



こういうことがキッカケになって、ショーペンハウアーがもっと注目され、くだらない誤解もとけて、再評価されるようになったらいいな。